賀正
「あけましておめでとうございます」
「おう、おめでとうさん」
一年の初めはいつも口にし、この年になればもういい慣れているはずの新年の挨拶。それがこんなにも面映いものだとは思ってもみなかった。
この言葉を告げる相手とも、もう何度も一緒に新しい年を迎えているはずなのに、今までとは違う感じがしてしまうのは、やはり二人の関係が変わってきたからだろう。
原田と夫婦となって初めての正月。いつもと何ら変わらない朝だというのに、やはりそこは感じる空気が違っていた。
鈴花は、赤くなる頬を押さえてそう思った。
しかし。
「あー、良かったな無事正月迎えられて」
正月早々一升瓶を部屋に並べてご満悦な彼は、鈴花の感慨など関係ないように思われた。
「……無事迎えられそうになかったのは、全部原田さんのせいじゃないですか」
くすぐったくなるような新年の感慨は、目の前に並べられた一升瓶によって冬の空へと吹き飛んでいった。
新年なので、過ぎた年の嫌な出来事は忘れてしまおうと心に決めていたはずなのに、目の前の男はそれを許してはくれなかった。
事の起こりは昨日に遡る。
大晦日になっても大掃除が終わらない。これはひとえに家の主の習性によるものだった。
鈴花がいくら片付けても、原田がその端から散らかしていく。
新選組時代は掃除はおろか風呂にすら入ろうとしなかった彼と、何度衝突したことか。一度はあまりの汚さに切れ、藤堂・山崎と結託して無理やり風呂に入れたことすらある。
あの頃に比べれば、風呂も(割と)こまめに入ってくれるようになったし、掃除も(割と)気にしてくれるようにはなってきた。
それでも、普通の人間に比べればまだまだ足りないと、鈴花は思う。
そんな原田家なので、暮れの大掃除もままならないのは当たり前の事だった。
「もう!原田さんがいたら掃除が出来ません!せめて買い物に行って来てください」
家にいられれば、その分片付けなければならないものが増える。そう判断した鈴花は、これまた同じようにさっぱり進んでいない正月用の買い物を夫に頼んだ。
しかしそれが大きな間違いだったことを、新年まであと少しという夕刻に知ることとなる。
「……なんで、こんなお酒ばっかりなんですか」
何とか大掃除を終えた鈴花の目に映ったのは、ずらりと並べられた一升瓶の数々だった。
確かに、酒も頼んだ。頼んだが、こんなには決して必要はない。
それに加え、正月に欠かせない餅やらおせちにいれる豆の姿はどこにも見当たらない。かろうじて魚だけは見えたが、大方つまみ程度に買ってきたのだろう。
鈴花のこめかみが、ぴくぴくと動いた。
「いやぁ……。最初に酒買っとかねぇとと思って買いに行ったんだけどよ、やっぱり持ち歩いて落としても悪ぃと思って一回帰ってきたんだ。で、その後また外に出たらこれまたうまそうな酒があってよ……」
「……つまり、持って帰ってまた出掛けるたびにおいしそうな酒に釣られた、と?」
おうよ、と胸を張る亭主に、鈴花の我慢も限界まで達した。
「何考えてるんですか!お正月だから多少は贅沢しても構いませんけど、全部お酒にすることないでしょう!お餅はどうするんですか、おせちはどうするんですか!」
「おわ、ちょ、鈴花、落ち着けって、おい……っ!わ、わかった!何とかすっから!」
雑巾やらハタキやらを容赦なく投げつける鈴花に、原田は慌てて腰をあげた。投げつけられるのは他愛のないものばかりだが、腐っても元新選組。彼女の攻撃は未だ衰えを見せない立派なものだった。
宙を舞うものが雑巾から皿になってきたあたりで、原田は戸口へと急いだ。これ以上ものが飛んで来ては大掃除のやり直しになりかねない。
その一刻後、彼が予定していたよりも半分の量の正月にいる最低限のものを持って帰ってきた時まで、鈴花の中にはまだ本当に年を越せるのだろうかという不安は色濃く残っていたのだった。
そして、怒涛の大晦日が終わり新しい年が来た。
昨年の事はすっぱり忘れようと思っていても、夫の不用意な言動と直視するまいと思っても目に入ってくる一升瓶の姿に鈴花は頭痛を覚える。
「……いいじゃねぇか、結局全部そろって正月迎えられたんだからよ」
そっぽを向いてそう呟く原田に、鈴花は長いため息をついた。
どうやって集めたのかは知らないが、確かに正月の準備は万端整えられた。しかしそれは予定していたよりも少ない品数で、多いのは酒のみという事実に、怒りを通り越してもう呆れるしかなかった。
「……悪かった」
「……え……?」
小さな声に顔を上げると、原田がバツが悪そうに顔を伏せている。がりがりと頭をかく姿は本当に悪いと思っているようで、鈴花はまた溜息をついた。
怒りや呆れを抑えて原田を見れば、その姿はいつもよりこざっぱりしていて「冬だから風呂なんてそんなに入らなくてもいんだよ」と豪語する彼が、それでも新年を迎えるに当たって湯を使っていた事に今更ながらに気付く。
それを認めた瞬間、鈴花の中にわだかまっていた感情は綺麗さっぱり霧散していった。
「……もう。原田さんて、いつもそうですよね」
「あ?」
「いっつも適当な事言って怒らせるくせに結局そうやって丸め込むんですから」
「おま、丸め込むって何だよ、丸め込むって!」
人聞き悪ぃ!と怒鳴る夫を無視し、鈴花は一番端にある一升瓶を持ち上げた。
「す、鈴花……?」
「お正月料理の最初は御屠蘇でしょう?ちょっと待ってくださいね、用意しますから」
にっこりと微笑む鈴花に釣られ、原田の顔も明るくなる。その顔を見ると、この人には本当に適わないと鈴花は思うのだった。
台所に下りようと草履を履く手前で、ふと手を取られる。そのまま一升瓶を床に置かされ、鈴花の体は大きな腕に包まれた。
「原田、さん?」
「……うっせ、こっち向くな」
ぼそりと囁かれた照れ隠しの小さな言葉に、鈴花の胸はほんのり熱くなった。
これから何度もこの人と共に新しい年を迎えることとなる。きっと来年も、再来年も同じようなやり取りがあるに違いない。
それがほんの少し楽しみに感じるのは、やはり自分の感覚が夫の影響を受けてきているのかもしれない。
「それってちょっと怖いかも」
小さく呟いた声は、原田に届く前に彼の口の中へと溶けていく。
逞しい腕に抱かれて口付けを交わす正月は、この上もなく甘いものだった。
「……ところでよ。いつになったら俺は名前で呼んでもらえるんだ?」
鈴花を抱きしめたまま、原田が不満そうにそう言う。
彼は早くから鈴花を名前で呼んでいたが、未だ妻は夫を名字で呼んでいる。
「……原田さんがもっと家の事を考えてくれて、私達が夫婦らしい夫婦になったら、ですよ」
「だから、それっていつだよ?」
原田の問いに笑顔で誤魔化し、鈴花は今度こそ草履をつっかけ台所へ向かった。
後ろからはまだ不満そうな声が聞こえていたが、無視を決め込む。
鈴花が原田に感化されてきているように、彼もまた同じ。あれだけ風呂嫌いだったのに、鈴花と暮らすようになってからはまめに風呂に入ってくれるし、時々は掃除もしてくれる。
互いが互いに染まりあって、夫婦になっていくのかもしれないと鈴花は最近そう思うようになってきた。
原田を、名前で呼ぶのもあと少しだろう。
けれど、その事はまだ彼には告げるつもりはなかった。
もう少し。
もう少しだけ、今のままで。
賑やかな声が上がる中、鈴花は今年も良い年になるだろうと予感するのだった。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
2009年
蓮華草 御厨じゅんこ
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