スランプ




「……書けん」

 頭をがりがりとかきむしる夫の姿を、はるは襖の向こうで眺めていた。
 守と結婚してから一年が立とうとしている。すっかり裏の家業から足を洗った様子の守は、宮ノ杜家の籍にも入り父である玄一郎とも少しずつ会話が増えてきていると聞く。
 小説家としての道も順調のようで、たくさんの仕事が舞い込んでいるようだったのだが、半月に一度はこうして書けなくなることがあるらしい。
 長い髪の毛を一つに束ね、眼鏡をかけた書生の姿は、初めて会ったころの彼の姿でもあるのだが、その硝子の向こうに映る目は穏やかとは言い難い。
 今でこそ彼の鋭い目つきには慣れているし、どちらの姿も好きだと言えるのだが、それでも昼間の明るい日の光の下では、穏やかな姿でいてほしいとも願うのだった。
 
「少し休憩したら?」

 守の手からまた一枚原稿が丸められたのを見て、はるはようやく声をかけた。
 手にしていた湯のみを原稿の隙間を縫って置き、夫の顔を覗き込む。そこにあるのは、穏やかな――幾分弱りかけている瞳だった。
 かつては暗殺者と呼ばれた男の変わり果てた姿に、はるは思わず笑いを堪えきれずに吹き出した。

「何だ、急に」
「ううん、何でも……ふふふふっ」
「何でもないわけないだろう。おい、今明らかに俺の顔を見て笑ったな。何だ、何が付いている?」
「べ、別に、何も……あはははははっ」

 インクでも顔についたのかと必死で顔を擦る守が愛しくて、笑みは深くなり笑い声も大きくなる。
 しかし守はそれが気に入らなかったのか、はるが笑えば笑うほどその表情は曇っていく。
 しまった、と思った時にはすでに遅く、はるが笑いを収めたと同時に守の眼鏡がかちゃりと外された。

「……人がこんなにも悩んでいるというのに、お前はよくそんなに笑えるもんだな」
「えっと……ご、ごめん、なさい……」

 謝ってはみてみるものの、その声に真剣味はなくそのうちまたしても笑いがこみ上げてくる。
 どうにか肩が震えるのを抑えて夫を盗み見れば、その顔はどんどんと不機嫌さを増していった。
 これはどうにかしなければならないが、そもそも彼の機嫌を損ねている理由ははるではなく原稿が書けないことにあり、それは他人がどうこう出来る問題ではないのだ。
 はるの心の声が聞こえたのか、守は大きく溜息を付きながらかけていた眼鏡を机の上に置いて言った。

「お前がもっと協力してくれればいいんだろうが」
「ええ? 私で役に立つの?」

 ご飯を作るとか茶を入れるぐらいの手伝いは出来るが創作の手伝いは何も出来ない、そう思っていたはるは思わず声を大きくした。
 眼鏡を取っていつもより目つきが鋭くなった守は、にやりと笑いかけると机の下から荷物を取り出しそれを妻に手渡した。
 はるは渡されたものを広げてみると、それは見慣れた服であることに気付く。

「これって、宮ノ杜家の使用人の服……?」
「今書いているのが、使用人の話だからな。それで俺の想像力をかきたててくれ」
「……まさか、また戦う使用人?」

 嫌な予感はしないでもなかったが、それでもこれで守の役にたつのであればと思い、はるは手にした服を握り締め、隣の部屋へと行き着替えた。
 夫婦なのだから気にせずここで着替えろという夫の言葉は、勿論無視を決め込んだ。
 数分後、使用人の服を着込んだはるは再び守の書斎へと戻った。以前ならば何も気にならなかったが、今では必要以上に可愛らしいその服が妙に落ち着かない。

「これで、どうしたらいいの?」
「そうだな、これで俺のことはご主人様と呼んでみろ」
「ええ?」
「出来ないのか?」

 鼻でそう笑われると、すかさずはるの中の負けず嫌いが発動する。
 固い声で「ご主人様」と呟いてみれば、守から声が小さいとの指摘が返って来る。仕方なく大きな声で怒鳴れば、情緒がないと言われる。
 役者でもないのに、こんなことに心が込められるわけがないと思うが、一度やると言ってしまった手前ひくわけにはいかなかった。
 守の顔を窺いながら、もう一度「ご主人様」と呟くと、鋭利な目が一瞬驚いたように見開かれた。

「……やれば出来るじゃないか」

 にやりと笑い守は手を伸ばした。それに誘われるように、はるは夫の傍まで行きもう一度所望される言葉を呟いた。
 空気が妙に濃くなったように感じたのは、きっと気のせいではないだろう。
 いざ言ってしまえば、台詞を言うなんてことは大したことではなかった。雰囲気に呑まれるように、はるは次々と夫の言う言葉を口にしていく。

「次は、この言葉だ」
 
 守は唇をはるの耳元に寄せ、先程より長い言葉を送り込んだ。
 耳から直接入り込んだ言葉は、到底理解出来るものではなく、はるは思わず確認するように呟いた。

「ご、ご主人様、たまには私をかわいがってくださいまし……?」
「そうだ、そこでスカートをめくりあげる」

 守の言葉に、はるは目をむいた。いくらなんでも、そこまでは出来ない。

「ええ! む、無理だよ!」
「協力してくれるんだろ?」
「うう……」

 守の言葉に、はるは渋々スカートを上に上げた。しかし、膝頭が見えるぐらいでその手は止まってしまう。
 助けを求めるように夫の顔を見れば、彼はにやりと人の悪い笑みを浮かべてスカートを掴むはるの手を取った。

「ま、守さん……」

 戸惑うはるをそのままに、守の大きな手ははるの小さな手を掴み、その手ごとするすると上へ引き上げる。
 真昼の太陽が差し込む明るい室内で白い太腿が露になり、はるは思わず目を逸らした。
 しかしはるのそんな様子にも構わず、守るの手は更に服を乱していく。
 エプロンを取られ、胸元の釦が一つずつ外されていく感触に、はるの体は震える。
 それは羞恥心からなのか、期待からなのかはわからない。それでも、昼間なのに事に及ぼうとする夫を止める気持ちは薄かった。
 守が醸し出す淫靡な雰囲気と、呟かされた言葉がはるの思考を塗り替えていた。普段のはるであれば、こんなことを許すはずもない。

「……ご主人様、だろう」
「ご主人、さま……やぁ……」

 しゅるりとエプロンを外され、衣服をずらされて白い肩が零れ落ちる。守は全ての服を取り去ろうとはせず、釦を外された服は中途半端にはるの体を覆っていた。
 守の手がはるの乳房を掴み、柔らかく揉みしだく。慣れてきつつある行為だというのに、いつもと違う格好が、はるの体を急激に熱くさせていた。
 常ならば、慎みを持って唇を噛み締めているのに、今日は耐えられずはるの口からは甘い吐息が少しずつ漏れ出す。
 それははるの耳に口付けを落としていた守にも伝わったようで、小さな笑い声と共にはるの体を弄る手がどんどんと大胆になっていった。

「……もうこんなに濡らしているのか」
「言わないで……恥ずかしい……」

 スカートの中に侵入した骨ばった手が、はるの秘所を探る。もうそこは零れるぐらいの蜜を湛えてしまっていて、はるは小さく頭を振った。
 長い指を飲み込んだそこは、更なる刺激を求めて体の所有者であるはるを無視し、生き物のように蠢く。
 幾度となく守に愛された体は、彼の手の動き一つで、その先を求めるようになってしまっていた。
 
「……もう、入ってしまうな」

 小さな呟きと共に、しとどに濡れたその場所に熱くて固いものが押し付けられた。
 それが何なのかをはるの本能が悟り、その腰は自然と浮き上がる。
 正面から抱き合った形のまま、はるは守を呑み込んでいった。

「あ、ん……」

 狭い道が彼の形に開かれていく感覚に、はるはうっとりと目を閉じた。
 柔らかな口付けが降ってくると、当たり前のように口を開き彼の舌を招き入れる。全てが繋がりあう感触に、はるの脳は甘く痺れた。

「守、さん……」
「ご主人様だと言ってるだろうが」

 不満そうな声と共に、下からずんと突き上げられる。
 悲鳴を上げて守の体にしがみつくと、楽しそうな笑い声が耳をくすぐる。
 
「ご主人様、だめ、や、ぁぁぁぁ」
「ふ……腰が動いているぞ、いやらしい、な……!」

 守の目がすっと細められると同時に、下からの突き上げは激しさを増す。
 がくがくと揺らされる感触に酔いながら、はるの頭は少しずつ白く染まってきた。
 二人を繋いだ箇所からは、絶え間なく水音が響き渡り、空気を淫猥な色に染め上げている。
 
「も、も、だめ、無理……あ、あ、ぁぁぁぁっ」
「く……っ締め、すぎだ……っ」

 胎内が急激に収縮し、はるは耐え切れなくなって守の肩にしがみついた。
 瞬間、熱い飛沫が膣内に叩き付けられ、はるはその感触にうっとりと目を閉じたのだった。






「ああ、いい息抜きになったな」
「……い、息抜き?」

「当たり前だろう。俺は純愛ものを得意としてるんだ。こんな話、出せるわけないだろう?」
「ひ、ひどい、騙したのね!」
「騙してはいないさ。俺の創作の手伝いをしてくれと言ったんだからな。俺の苛立ちを解消するのも十分手伝いだ」

 平然と言ってのける夫の頭を、はるは思い切り殴りつけた。
 その後出来た作品は、使用人の話など一切出て来てはいなかったが、作品に色気が増したと好評だったという。