君がため

「雛祭り……」

 斎藤は、言われた単語を噛み締めるように繰り返した。
 
「……ハジメさん、まさか知らないわけじゃないよね……?」

 目の前には、薄笑いを浮かべた藤堂の姿がある。
 雛祭り、と言い出したのは彼だった。
 
「……雛、祭り……」

 もう一度呟く斎藤に、藤堂の表情が変わる。
 まさか、本当に知らないのでは、と。
 無論、斎藤とて雛祭りぐらいは知っている。
 桃の節句。女児の健やかな成長を祈る行事。
 しかしその意味は知っているが、実際に雛祭りと関わったことがない。
 だから実感がわかず何度も繰り返してしまったのだ。
 
 長らく、家庭的なものとは無縁だった。ましてや新選組に入って以来、男所帯のむさ苦しい中でそんなものを求めるほうがどうかしている。
 何故こんな話になったのか。

 もうすぐ雛祭りですよね。

 そう言い出したのは、新選組の唯一の女隊士である桜庭鈴花。
 麗らかな春の日差しが降り注ぐ縁側で、茶を飲みながら彼女は嬉しそうに微笑んだ。
 北国生まれのくせに寒がりで、冬の間は寒い寒いと連呼していた彼女なので、春の到来は誰よりも喜ばしいのだろう。
 花がほころび出した庭を見るのが、最近の日課となりつつあったのだ。
 そして、暇な隊士はそれに付き合うのが、これまた慣例となっていた。
 今日は、藤堂と斎藤が非番。
 お茶を飲みませんか、という鈴花の誘いに、二人して頷いた。
 
 どこそこの花が咲いただの、川原の土筆が大きくなりすぎて萎れているだの。
 鈴花はどこからでも春を探してくる。
 そして今日は、桃の話となり雛祭りまで続いたのだった。
 
 私の家は裕福ではなかったんで、雛人形を買ってもらえなかったんですよ。

 そう言った鈴花の顔は、彼女らしくもない苦笑い。
 初めて見たその表情が、斎藤の胸に深く突き刺さっていった。
 
 そして、今。
 土方に呼ばれ鈴花が去った後に、藤堂と二人でぼんやりと座り込んでいる。
 手には、すっかり冷えてしまった湯のみ。
 薄い色の水を眺めながら考えるのは、先ほどの鈴花の言葉ばかりだ。
 
「雛、祭り……」
「……ハジメさん……」

 呆れたような藤堂の言葉は、耳を通り抜けていく。
 雛祭り。
 斎藤の脳裏に響くのは、ただその言葉のみだった。




 そして、数日後。
 巡察から帰った鈴花は、自室に置かれた包みに気がついた。
 小さな文箱の上に乗せられた、これまた小さなもの。
 風呂敷に包んであるそれは、両手の上に乗る程度の大きさだった。

「何だろう……」

 心当たりはない。
 朝、布団を畳んだ際にはこんなものはなかった。
 風呂敷も、いつも自分が使っているものではない。見覚えもあまりない。
 誰かが置いていったのだろうか。もしかすると、部屋を間違えたのかもしれない。
 様々な考えが頭を過ぎる。
 しかし、部屋を間違えることはあまりないだろう。一応、女であるということを考慮して、鈴花は小さいながらも部屋を与えられていた。――元は押入れだったのだが。
 どの部屋よりも格段小さい部屋。そして、その中はどの部屋よりも綺麗で清潔に整えていると自負している。
 これで誰かと間違えられてしまっては、かなりの衝撃だ。
 なのでこの包みは、間違いなく自分に宛てられたもののはず。
 
「……でも、心あたりがないんだよね……」

 そう呟きながらも、鈴花はそれに手を伸ばす。
 触ってみると、布越しに中身が揺れたのを感じる。どうやら、中に入っているものは一つではないらしい。
 これでますます心あたりがなくなった。
 どうしようか。誰かに確かめてから開けた方が良いだろうか。
 そう思うが、むくむくと沸き起こった好奇心は止められない。
 鈴花は、そっと風呂敷の端を摘んだ。

「誰かに聞くにしても、中身が何かわからないと聞きようがないもんね」

 誰に聞かせるでもなくそう言い訳し、そろそろと風呂敷を解いていった。
 そして。

「……………………何、これ」

 中身を見て絶句した。

 出てきたのは、掌ぐらいの大きさの木が二つ。
 何かで削られたのだろうか、そこかしこから棘が出来ている。
 上部が丸くなって、そのすぐ下に顔らしきものが作られている。ような気がする。
 
「……仏……像? ……それとも、呪いの人形……?」

 お世辞にも美しいと言えないそれは、人形だと思えば思うほど、奇妙に見えてくる。
 顔だと仮定すれば、鼻が真っ直ぐではなく斜めに曲がっている。口も片方が釣り上がっていて、小馬鹿にしたようにも見える。いや、何よりもその目が――………。

「こ、怖い、かもしれない……」

 鈴花は、その人形(もどき)をそっと元の風呂敷で包みなおした。
 机の上に置いてあるのだから、悪意はないだろう。
 しかし、誰がこんなものを。その真意がさっぱり想像出来ない。
 持ち主を聞く気は、すっかり失せてしまった。

「置いていった人を見つけて、どう聞けばいいかわからないし。これは何ですかって聞くのは……やっぱり失礼よね」

 それよりも何よりも。
 この不思議な物を持ち歩くのは、非常に気が乗らなかった。
 かくして人形(もどき)は鈴花の文机の下に、隠されるように安置されたのだった。
 彼女を惑わせるこの物体を置いた犯人がわかるのは、これから数日後のこと。




「折られてた?って、あの桃の花?」
「そうそう。土方さんが咲くのを楽しみにしてたあの木。一番きれいな枝がぽっきり折られてたんだってさ」
「うわー……。土方さん、怒ってるんじゃない?」
「うん。眉間の皺がいつもより二割り増しだったし、こめかみに青筋が出来てたね」

 藤堂の話を聞き、鈴花は肩を竦めた。
 新選組副長には、隠された趣味がある。発句作りは幹部以外にはばれていないが、その材料になりえる風流なものを彼が大事にしていることは、一介の平隊士に至るまでが知っていた。
 その副長が今最も気にかけているのが、近所に咲く桃の木。
 小ぶりながらも優しい花をつけるその木のことは、新選組の中でも有名な話だったはず。
 それが、昨夜折られたというのだ。
 
「誰がそんなことしたんだろう」
「さぁ?でも、子どもじゃないよね。あの木、枝が少ないから上りにくいし。どっかの酔っ払いかなぁ?怖いことするよな」

 怖い怖い、と藤堂は大げさに身を震わせた。
 その時、風に乗ってふんわりと優しい匂いが運ばれてきた。
 柔らかな花の香り。春を象徴するような、その香りは――。

「桃の花……?」

 呟いて、鈴花は身を固まらせた。隣にいる藤堂も、今度こそ本気で青ざめている。
 花の香りは、近づいてくる。とてとてという足音と共に。
 二人が恐る恐る振り向いた先には。

「……さい、とうさん……」

 花の枝を無造作に担いだ斎藤の姿が、あった。

「そ、それ……どうしたんですか……?」
「これか?ちょうど良さそうな枝だったから取ってきた」
「…………!」

 予想していた答えとはいえ、鈴花と藤堂は凍りついた。
 出来れば、気のせいであってほしい。そう願わずにはいられない。

「あの、どこの木ですか……?」
「屯所の前に生えていた木だが?」
「……まさにそれじゃん……」

 がっくりと項垂れる藤堂。鈴花の背にも冷たい汗が流れた。
 犯人は、新選組内部にいた。しかも、幹部である斎藤。
 もうどうして良いのかわからなかった。
 しかし、わからないことはもう一つある。
 
「斎藤さん、何で桃の木なんか……」

 斎藤に花。あまりに似合わない。
 何故、彼がこんなことを仕出かしたのかがわからなかった。
 普段は花になど興味もなさそうなのに。否、興味がないからこそ、土方の大事にしている花など、気にも留めていなかったのだろう。

「雛祭りといえば、桃の花ではないのか?」
「……え……?」
「先日、おまえの部屋に置いておいた雛人形の横にでも飾るがいい」
「え、ええ!?」

 あれ、雛人形だったんだ。
 思わず出そうになった台詞は、何とか飲み込む。
 そして、それに気づかない斎藤は、満足そうに微笑み桃の枝を鈴花に押し付けた。
 照れ隠しなのだろうか、そのまま足早に元来た方向へ戻っていく。
 残されたのは、ぽかんと口を開けた藤堂と本気で困り果てている鈴花のみ。

「ど、どうしたらいいんだろう……」

 その答えを返してやれるほど、藤堂の心に余裕はない。



 結局。
 鈴花は、斎藤を連れて土方の下へ謝りに言った。
 土方が大事に思っていた木だとは知らなかったこと、鈴花に桃の節句らしいことをしてやりたかったこと。
 その二つを斎藤が説明すると、さすがの土方も怒りをおさめてくれた。
 特に後者の理由が、大きかったようだ。
 
 そして、今。
 二人は、雛人形の横に桃の花を飾っている。
 
「私の為に作ってくれたんですね」
「ああ。人形を買おうかと思ったが、どうもああいう店には入りにくい」

 鈴花は、小さく笑った。
 雛人形は、親が子に買うもの。斎藤が躊躇するのも頷ける。
 
「だから、作ってくれたんですか?」
「ああ。あまり間近で見たことがないので、似ていないかもしれないが」
「……ふふ……」

 似せようとする努力はしたのだろう。
 不気味にすら見えたとは、口が裂けても言えない。
 本当に人に聞かなくてよかった、と鈴花は心の底から思った。
 口の悪い隊士たちに見つかれば、何を言われるかわかったものではない。
 見た目は悪いが、自分の為に斎藤が作ってくれた人形だ。
 今では、その性悪な口元さえも雛人形の柔らかな微笑に見えてくる。
 
「ありがとうございます、斎藤さん」
「……いや……」

 そっぽを向く斎藤の頬が、桃の花のようにほんのりと染まった。
 鈴花はそれを見ながら、徳利を傾けていく。
 お猪口の中には白い液体が注がれていた。

「それは?」
「甘酒ですよ。どうぞ」
「……甘い、のか?」
「お雛祭りにはつきものです」

 そう言って、鈴花はお猪口を渡した。
 斎藤は渋い顔をしながらも、それに口をつけていく。
 花の香りのような甘酒の匂いが、ほんのりと漂っていった。
 
 手作りの雛祭り。
 こんな暖かい桃の節句を迎えたのは何年ぶりだろう?
 母親がいた頃は、簡素ながらもお祝いをしていた。けれど、母が出て行ってしまってからはそんなことをしている余裕すらなかった。
 新選組に入ってからは尚のこと。
 雛祭りがこんなに嬉しいものだとは、思っても見なかった。
 それは、目の前で甘酒を渋い顔で飲んでいる、この人物のおかげに他ならない。
 
 鈴花は、思う。
 将来を願うことが許されるなら。
 将来、子どもをもつことが出来たなら。
 たとえ貧しくとも、こんな風に祝ってやりたい。
 心をこめて、祝ってやりたい。

 その時隣で甘酒を飲んでくれるのは、一体だれだろうか。
 
 


 彼であれば、良いのに。
 
 
 

 甘酒を飲みながら、鈴花はまた小さく笑った。




 桃の花がそれに答えるかのように、ひらりと花びらを零した。


















久しぶりの恋華です。そして、ひさしぶりのハジメです。おかしいな、ハジメサイトを目指してたはずなのに。
ハジメが人形を彫る……あのハジメとこのハジメが混じってる感があったりなかったり……?
もうちょっと恋華が頑張れるようになりたいです……orz

 



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