年の初めに
「新八さん、また御節つまみ食いしたでしょう」
妻の冷たい声音に、永倉はぎくりと体を強張らせた。
その口には、先程入れたばかりのだし巻き卵が残っていて、思うように誤魔化せない。
「別に、正月なんだからいつ食べたっていいだろ」
結局、拗ねたようにそう言ってその場にごろりと横になった。
小さな溜息が背後から聞こえ恐る恐る後ろを振り向くと、鈴花が呆れた顔をしながら襖を閉める所だった。
「同じような事を言って、大晦日からつまみ食いしてたのはどこの誰ですか。お正月だから御節を食べても文句は言いませんけど、こうしょっちゅうつまみ食いをされたら、三箇日の間だってもちませんよ」
何のための御節だ、と何度も繰り返された言葉を聞きながら、永倉は目を閉じた。
鈴花の小言は寝たふりをして聞き流すのが一番良いのだと、彼女と暮らすようになってから永倉は学んだ。
彼女が本気で怒っている時にそんな事は出来ないが、これぐらいの小言だとこれが効果的だった。
「……もう、またそうやって狸寝入り」
案の定、鈴花の声には僅かに笑いが混じってきている。
そろりと薄目を開けると、正月用の着物を着た妻が彼の横に腰を下ろした所だった。
去年は用意出来なかった正月用の晴れ着。それが、今年はそう良いものではないが何とか用立てる事が出来た。
日一日と戦ばかりだった過去は遠くなり、普通の男女としての生活が整ってきている。
数年前は少年のような出で立ちだった鈴花は、今ではもうすっかり女として良い妻として彼の隣りに座っているのだ。
「鈴花」
「え、あ……!」
小さく名を呼んで細い手首を引っ張ると、不意をつかれて体勢を崩した鈴花が落ちてくる。それを柔らかく受け止め、永倉は妻の体を抱きしめた。
耳にかかる明るい色の髪の毛に鼻を近づければ、あの頃と変わらない陽の光の香りが鼻腔をくすぐった。
「ちょ、え、新八さん……っ」
腕の中でもがく鈴花を無視し、永倉はそのまま彼女の耳に唇を落とし吐息を吹きかける。
その途端に、鈴花の体は小さく体を強張らせながらも静かになっていった。これも、彼女と暮らすようになってから身に着けた鈴花攻略法の一つだった。
胸の中で収まった妻をのぞき見ると、やはり顔を赤らめて喘ぐように小さく息をしている。その姿を見つめながら、永倉は自身の体の横に隠した小皿を探り、そこから栗きんとんを一つ掴むと彼女の口の中に放り込んだ。
「むぐ……っ!」
「はは! これでおめーも同罪だ」
にやりと口の端を上げて体を起こすと、鈴花も弾かれるように飛び起きた。
赤く染まった顔はそのままだが、先程までの悩ましい表情はなくなり怒ったような表情が表にあがってきた。それでも、口の中のものを出さないよう、必死に嚥下している姿は彼女らしくて更に永倉を愉快にさせた。
「もう、新八さんっ!」
ようやく飲み込めた鈴花が、吊り目を更に吊り上げて抗議すると、永倉は再度彼女の腕を掴みその身を抱きしめた。
腕の中でもがく鈴花を力の限り抱きしめると、こみ上げた笑いは止まらず更に鈴花が腕の中で暴れる。
そうする姿は、すっかり大人の女性の姿が身についたいつもの姿ではなく、出会った頃の刀を持ったあの頃の姿に戻っていた。
懐かしい気持ちに浸った所で腕の力を抜くと、すぐさま鈴花が腕から抜け出して肩で息を繰り返した。どうやら力を込めすぎたせいで酸欠になりかけていたらしい。
その姿にまたしても笑いがこみ上げ、遠慮なく笑う彼の頭には鈴花の拳がこれまた遠慮なく見舞われたのだった。
「もう! 御屠蘇はなしですからねっ!」
「お、おい、鈴花、そりゃねーだろ」
問答無用、と力いっぱい襖を閉め鈴花は、永倉の部屋を後にした。
大きく響く足音が次第に遠ざかるのを聞きながら、永倉はようやく笑いを収めた。
最近の鈴花は、年齢もあってか色気が増してきた。それは悪い事ではないし、むしろ嬉しくもある。けれど、不意に昔の彼女の姿が妙に懐かしくなることがあるのもまた事実だった。
そんな時はこうして、昔のように彼女をからかってしまう。その後のご機嫌取りが大変なのはわかっているのだが、それでもやめられない。
「ま、こうしねぇと、新年迎えた気持ちになれねぇんだよな」
小さく笑いながら、永倉は襖を開けた。
とりあえずは、鈴花に謝ってこよう。
御屠蘇の為にもそれは必要なことだった。そして今機嫌が直らなければ、今夜は寂しく過ごさなければならないことも予想されるので、それはどうしても避けたかった。
「鈴花」
すっかり呼びなれた彼女の下の名を呼びながら、永倉は愛しい妻の姿を探した。
永倉家の新年は、これからもこうやって賑やかに明るく迎えられることを願いながら――。
あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
蓮華草 准胡
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