謹賀新年
「勇さん、もうすぐ年が明けますね」
はるは柱時計を見つめながら小さく呟いた。
時計の針の音とぱちぱちと薪の爆ぜる音以外は、全て外の雪が吸収してしまう、静かな夜だった。
昨年はここで初めて家族以外の人たちと新年を祝った。今年は、新しく家族になった人と新年を祝う。
この二年弱でがらりと変わってしまった自分の生活を思い返し、はるは小さく笑みを零した。
「どうした、何を笑っている」
「いえ、別に……」
別に、と答えながらもなかなか笑顔は顔から引き剥がせない。そんなはるを訝しく思ったのか、隣に座る夫は不機嫌そうに眉根を寄せた。
その端整な横顔を見ながらも、はるはまた笑みを深くする。
宮ノ杜家の面々が毎年、年末年始を過ごすこの別荘は、いつもならばこの時間であっても喧騒に包まれているのだが、今年はただ静寂の中に包まれていた。
今年は、新しく当主となった勇が新妻と二人で過ごすと宣言した為、他の兄弟はおろか玄一郎までも、そして世話を任される千富をはじめとした使用人ですらこの場所にはいなかった。
しかし、長年ここに住んで世話をしてくれる管理人はいるのだし、勇一人の世話ぐらいならば元使用人であるはるにとって大変なことは一つもなかったし、勇と二人で一日中ゆっくりと出来るのは嬉しいことでもあった。
しかし、やはりいつもは大勢の人に囲まれているはるにとって、この静けさは落ち着かないものであるのも確かだ。
「あ、雪……また降って来ましたね」
「ああ、本当だな。今年は雪が少ないと思っていたが、この分だと帰る頃には例年通りの雪になるだろうな」
窓の外には、細かな雪が降り始めていた。水分の少ないそれは、このまま地面に降りそのまま積もっていくのだろう。
はるは雪を見ると、不意に寒さを思い出し体を小さく震わせた。
「寒いのか?」
「いえ……はい、少し」
慌てて否定しようと思ったが、嘘を嫌う勇の瞳に思わず素直に頷いた。
すると、仏頂面をしたままの勇がはるの体を抱きよせ、そのまま腕の中に閉じ込める。ふわりと彼の香りが鼻腔をくすぐり、はるはうっとりと目を閉じた。
始めの頃は怖くて仕方がなかった勇だが、言葉を交わすうちに随分と優しくなってきた。女心がわからなかった彼も、情を交わすようになってからははるの気持ちも考えてくれるようになり、結婚してからは心の機微にも細かく気付いてくれる。
雅に言わせれば「気持ち悪い」らしいが、やはり妻としては嬉しい限りだった。
「……あったかいです」
甘えるように頬をすり寄せると、自然と唇が重なり合う。
重ねるだけですぐに離れた唇は甘い余韻を残し、はるは思わず息を漏らす。すると、彼女の不満を感じ取ったのか、再び勇の唇が降りてきた。
今度の口づけは、先程よりも長く更に糖度を増していた。
重ね合わせるだけの口づけは次第に深くなり、薄く開いたはるの口の中に勇の舌がそっと忍び込んできた。
――その瞬間。
「あーっ! もうさっぶーい!」
「ちょっと、こんなに雪降ってるなんて言ってなかったのに! こんなことならちゃんと運転手に運転させればよかったんだよ、馬鹿じゃないの?」
「仕方がなかろう、ここに来る予定はなかったのだから、運転手とて休みを取ってしまったんだぞ」
「そうだよ〜、大体博が帰ってくるなり我が侭言うのが悪いんだよ」
「……うっぷ……な、何でみんな茂兄さんのあの運転で平気なんですか……」
ばたん、と大きな音がして玄関の扉が開き、吹雪と共に賑やかな声が邸中に響き渡った。
聞きなれた声だが、まさかと思い目を見張れば、やはりそこには想像していた通りの姿が存在した。
「ひ、博さま、何で日本に……? ま、雅さま、正さま、茂さま、進さままで……」
慌てて勇を押しのけると、後ろから不満そうな声があがる。しかし、はるの中で人前で抱き合うなどもってのほかだった。
それを考えて、勇は別荘には二人で行くと言い出したのだろうが――。
「はる吉、久しぶりー! やっぱり年越しは日本がいいなーと思って帰ってきちゃった。そしたらさ、今年は別荘行かないとか言うじゃない? でもそんなの、帰ってきた意味ないからみんなで来ちゃった」
「博がまた子どもっぽい駄々こねたんだよ」
ぺろりと舌を出す博は、ほんの少し見なかっただけでも随分と背が伸びたように見える。
その横で不機嫌そうに雪を払うのは雅だった。毛足の長い外套に付いた雪を神経質に払い落としている。そんなところで落とされると、後で水溜りが出来て大変だと、はるは心のそこで思った。
「来るつもりはなかったのだがな……。当主……いや、ご隠居も行って来いと申されてな」
「あーもう、雪道なんて運転するもんじゃないねぇ、怖いったらないよ」
「怖かったのは自分達です。思い切り滑っていたじゃないですか……」
正、茂、進の三人は文句を言いながらもすでに外套を脱ぎ終え、こちらへ差し出していた。はるは慌ててそれを受け取ると、暖炉の傍へ持っていく。
「おい、貴様ら……何をやっておるのだ。ここへは二人で来ると言ったはずだが」
怒気を含んだ勇の声が聞こえ、はるははっとして動きを止めた。
つい使用人のくせが抜けずに外套を受け取ってしまったが、宮ノ杜当主の妻らしからぬ行動は、今の勇に一番嫌がられる行動だ。
しかし、体を固くしているのははるばかりで、他の面々はいつも通りの表情を崩さず、思い思いに行動をし始めた。
「えー、はる吉と結婚しただけでもずるいのに、独占するなんてもっとずるいよ。それにここは宮ノ杜家の別荘なんだから、来ちゃ駄目っていうのもおかしいよね」
「僕は博に無理やり連れて来られただけだけどね」
「うっそだぁ、雅だってはる吉いないから寂しいって言ってたよ」
「はぁ? 馬鹿じゃないのっ!」
賑やかな声を上げながら、博と雅はソファへ座り込んだ。
正は慣れた足取りでキャビネットを開けブランデーを取り出し、進は氷を取ってくると台所へ消えていった。茂は車の鍵を振り回しながら、勢いを増してきた雪を眺めている。
先程までの静寂はそこにはなく、いつも通りの喧騒に包まれた。その賑やかな空気にはるは思わず頬を緩める。
愛しい人と二人でいるのも嬉しいが、やはり宮ノ杜の兄弟が揃うこの騒がしさは格別なものだった。
「はる吉だってさ、みんなで楽しい方がいいよね?」
「え、あ、私は……」
思わず頷きそうになり、勇の厳しい視線で慌てて言葉を濁したが、その真意は誰にも伝わってしまっていることだろう。
勇が何かをいいかけ口を開きかけた瞬間、時計の針がかちりと動き、ボーンと大きな音が部屋中に響き渡った。
「あ、年が明けた。あけましておめでとー!」
「ああ、年明けには間に合ったんだね」
「うむ。今年も全員で迎えられたな」
「とばした甲斐があったねぇ」
「とばさないで欲しかったですけどね……」
はるは笑いを噛み殺しながらも、小さな声で新年の挨拶を口にした。――視線だけは、夫に注ぎながら。
こうして、はるは宮ノ杜家の一員として初めての正月を迎えられた。
それは宮ノ杜家らしく、とても暖かなものだった。
しかし、彼ら兄弟が使用人を一人も連れてこなかったことに気付くのは、夜が明けてからの話。
「だから二人きりが良いと言ったのだ!」
夫の小言に苦笑いを返しながら、はるは一年の最初の日からエプロンを身につけるのだった。
あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
蓮華草 准胡
モドル