入れ替わり
気づいては、いたんだ。
先輩が、俺を見上げる時。
いつも、目線は一瞬俺の目より上にあがる。
そして。
あ、って顔をするんだ。
一瞬。
そう、一瞬だけ。
きっと、他の人から見れば何も気にならないだろう。
そんな些細な動作。
だけど、俺は。
・・・・・・・・・・・・・・・・俺は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「兄さんが・・・?」
その知らせを聞いて。
俺は、目の前が暗くなった。
もしかしたら。
そんな思いは、いつも胸の中にあったけれど。
俺は、極力考えないようにしていた。
だが。
とうとう、この日が来てしまったようだ。
庭に出ると、すぐに先輩の明るい髪が目に入った。
その右には、背の高い男。
その場所は。
先輩の右側は、俺の場所だった。
−こっちへ来てからは。
しかし、以前は違う。
こっちへ来る前。
当たり前の日常の中では。
先輩の右側は、兄さんの場所だった。
それが、戻ってきた。
その日常が。
・・・・・戻ってきてしまった・・・・。
「おう、譲!」
俺に気づき、先輩の横の男が声をかける。
記憶にあるよりも、随分と精悍な顔立ち。
だが、それは間違いなく。
俺の実の兄の顔だった。
兄の顔が。
こんなに苦く映ったことは今までなかっただろう。
兄さんは、やはり兄さんだった。
たとえ、元の年齢よりも年がいってようと。
ここが、どんな世界であろうとも。
兄さんは、兄さんだ。
何も変わらない。
そのことに安心する反面。
俺は、悔しくてたまらなかった。
こっちに来てから俺が築き上げた場所。
それをいとも簡単に奪っていく。
元は兄さんのモノであったのだから、俺が悔しく思うのはお門違いかもしれない。
だが。
だが・・・。
「譲、逞しくなったなー」
「・・・兄さんの方がすごいんじゃないか?」
「まぁな。年季入ってるしな」
からからと笑い、杯を押し付けられる。
俺は、それを掌で押し返したが、兄さんはひかない。
こんな時に飲む気にはなれないんだが。
「飲めよ。飲めないわけじゃないだろ?」
「・・・・・・」
「折角の兄弟の再会なんだ。つきあえよ」
そう言われ、俺は渋々杯を受け取った。
そこへ並々と酒が注がれていく。
正直。
こっちの酒は好きになれない。
元の世界では、おおっぴらに飲むことは出来なかったが。
それでも、酒の一つや二つ口にしたことはあった。
俺にとっての「酒」はビールや焼酎、それに父がよく飲んでいたウィスキーといった類で。
日本酒とはあまり縁がない。
しかし、こちらの酒はやはり日本酒でしかなく。
九郎や景時さんに勧められても、あまり好んでは飲まなかったのだ。
だが、兄さんは違うらしい。
俺に杯を押し付けた後、じぶんのものをぐいっと飲み干した。
そのまま、手酌で注ぎまた飲み干す。
我が兄ながら、目を見張るほどの飲みっぷりだ。
それだけ、この世界に馴染んでいるということなのだろう。
俺は、胸に押し寄せる苦い感情を押し込めるように。
ぐいっと杯を煽った。
「お、いけるじゃねぇか」
兄さんが嬉しそうに言い、空いた杯に酒を注ぐ。
俺は、もう一度それを空けた。
待ち構えたように次の酒を注ごうとする兄さんを制止し、その顔をじっと見る。
「・・・何か、言いたいことがあるんじゃないのか?」
そう切り出すと、兄さんは片手でがりがりと頭をかいた。
肯定の意だろう。
俺は、溜息をつく。
何てわかりやすい人なんだ。
「・・・お前、これからも望美と一緒にいられるのか?」
「・・・先輩と?当たり前だろう」
「・・・そうか・・・」
「・・・兄さんは、違うんだな」
そう言うと、兄さんは「まぁな」と苦笑いをした。
その話は、聞いていた。
世話になっている人を助けたいのだ、と。
だからずっと、先輩の傍にいられないのだ、と。
まったくもって、兄さんらしい。
だけど。
「俺は、先輩だけが大切だ」
「・・・・・・・・」
きっぱり言い放つと、兄さんは口を噤んだ。
わかっている。
兄さんだって、先輩が大切だって事は。
でも、それが口に出せないのであれば。
俺は、それを利用させてもらうだけだ。
「・・・俺は、先輩だけが大切だ。
兄さんには、渡さない」
「譲・・・」
「今は、確かに兄さんの代わりでしかないかもしれない。
だけど、次に会う時は」
俺は言葉を切って、兄さんを見た。
真っ直ぐに。
兄さんは、揺るがない。
ずっと隣に居た者の余裕なのか。
それとも、自信なのか。
「・・・次に会う時は、もう身代わりなんかじゃ、なくなってる」
「・・・そんなこと・・・」
「ないって言い切れるのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
射るような兄さんの視線。
俺は、それを正面から受け止めた。
身代わりなんかじゃなくなってる。
そんな確信、どこにもない。
強いて言えば、それは希望。
そうであって欲しいと願う、俺の願望。
だが。
強く願えば。
叶う気がした。
先輩の傍にいるのが、俺であるならば。
その立場は変わるのだ、と。
「行っちゃったね、将臣くん」
兄さんが出発した、その日。
遠ざかる背中を見つめて、先輩はぽつりと呟いた。
「・・・淋しいですか?」
聞きながら、小さな手をそっと握る。
柔らかで。
剣を持つとは思えないほど、華奢な手。
その手を。
守るように。
慈しむように。
俺は、そっと握った。
「ちょっと・・・淋しい、かな?」
ふふ、と笑いながら先輩が言う。
その横顔は、少し翳っていたが、口調はいつもと変わらない。
俺は少し安心して、握った手に力を込めた。
「ちょっと、ですか?」
「うん。でも、大丈夫!譲くんがいてくれるから」
にっこり笑う先輩が。
愛しくて仕方がない。
無理をしているのは、わかる。
それでも、言ってくれた言葉は俺の心を熱くさせた。
「・・・ええ。俺は、どんなことがあっても、先輩を一人になんてしません」
今は、身代わりでもいい。
いつか、本当に俺を見てくれる日が来ることを。
俺は、信じている。