love letter









「よ……っと、これでいいですか?」
「ふぉふぉふぉ……。花殿は上達が早いですな」

 筆を置いて顔を上げると、教師代わりをしてくれている子敬が同じ目線の位置から労いの言葉をかけてくれた。
 元の世界へ帰ることをやめ、仲謀の所へ来てから数日が過ぎた。以前のように使者としての滞在ではなくなった花は、自分のすべき事を求めとりあえずはこの国の言葉を覚えようと、子敬に頼みこんでいた。
 この柔らかい物腰の文官はやはり教える時も優しく、花が教わってきたきたどの教師よりもわかりやすかった。

「この分じゃと、あっという間に字を覚えてしまわれますな」
「うーん、でも字を覚えただけじゃまだダメですよね。この国の手紙って難しいし」

 言いながら、花は大きく伸びをした。集中して字を書いていたので、体のあちこちが固まってしまっているようだった。
 それをにこやかに見つめ、子敬は今日はこれで終わることを告げる。
 その瞬間。

「はーなーちゃーん! 終わった? ねぇ、終わった?」
「あっそぼうよー!」

 扉を蹴破らんばかりの勢いで、小さな二人が転がりながら入ってきた。
 姿を見なくてもわかるその賑やかな二人は、左右から花の腕に抱きつき何度も遊ぼうと叫び続ける。

「だ、大喬さん小喬さん、何回も言わなくてもわかりますってば! すいません子敬さん……」
「いやいや、お気になさいますな」

 相変わらず和やかな笑顔を崩さない子敬に何度も頭を下げ、花と大喬小喬姉妹は子敬の部屋を後にした。
 部屋を出るとすぐに、大喬が花の手にある竹簡に気付き腕の間から顔を出した。
 しまったと思った時には時すでに遅く、竹簡は彼女の小さな手に握られている。

「大喬さん!」
「ふーん、本当にただの字のお勉強だったんだぁ」
 
 面白くなさげに呟き、大喬は手にした竹簡をぽんと投げた。それを器用に小喬が受け取り、同じように中を確認して花へと戻される。
 尚香が玄徳の下へと嫁いでから、この姉妹の遊び相手はもっぱら花となっていた。
 破天荒に見えて意外に気を遣っているらしく、先程のように授業が終わるまではきちんと待ってくれたり、花が疲れている時は現れたりはしない。
 ただ、仲謀といる時は関係なく邪魔しに来るので、それだけはいたずらの範疇としてみなしているのだろう。

「字の勉強だって言ってるじゃないですか。ほら、字が書ければ芙蓉姫や尚香さんとも手紙のやり取りが出来ますし」
「手紙かぁいいなー。じゃあ、字が書けるようになったら私にも書いてよ」
「書いて書いてー!」
「あはは、大喬さんと小喬さんはこうやって毎日会えるからいいじゃないですか。会えない人に書くからいいんですよ」

 えー、と揃いも揃って頬を膨らませる姉妹に、花は苦笑した。
 以前いた世界では、手紙など簡単に書けたしそれ以上にメールが使えたので、手紙を書くことは喋ることと同じように簡単な事だった。けれど、この世界では手紙は髪ではなく竹簡に書き、そう安易に使えるものではい。
 わざわざ近くにいる人間に渡すのは、花としては気がひけるのだった。
 しかし、この姉妹にそれを言ってわかってくれるかどうかは甚だ疑問ではある。花は誤魔化すように、話題を変えるのだった。
 最近巷で話題になっている菓子の話をすると、二人は面白いように乗ってきた。
 だから、手紙の話はここで終わりだと、少なくとも花はそう思っていた。




「……どこ行くんだよ」

 大喬小喬姉妹と手紙の話をしてから数日後。最近は忙しくて、日中なかなか顔を合わせる事が出来なかった仲謀が、珍しく花の部屋に顔を出した。
 本来なら喜ぶべきところなのだが、今はちょっと困る。

「子敬さんのところなんだけど……。どうしたの、仲謀。用事?」
「用がなきゃ来たらいけねぇってのかよ」
「そ、そんな事はない、けど……。何でそんなに機嫌が悪いの?」
「別に」

 別に、とは思えない顔つきで言い放ち、仲謀はそのまま椅子へと腰掛ける。むっつりと黙り込んだ彼を置いて部屋を出るわけにはいかず、花も渋々向かいの椅子へと腰を下ろした。
 仲謀が不機嫌になることは多々ある。しかし、機嫌は悪くなっても黙り込む事はあまりない。
 いつか尚香が言っていたように、いつもの機嫌の悪さだと大声で怒鳴り散らすのが関の山で、解決するとけろりと機嫌もなおるのだ。
 ただ、時々こうして不機嫌になって黙り込む事がある。それは彼が本気で怒っている時であり、その機嫌をなおすのが一苦労であることは、花も経験上よくわかっていた。
 だが、その理由まではわからない。

「……仲謀、あの……」
「……」

 返事もしない仲謀に困り果てた花は、手にした竹簡を握り締めた。
 子敬と約束した時間はとっくに過ぎている。あの穏やかな子敬は気にしないかもしれないが、彼とて忙しい身なのだから余計な時間を割くのは避けたい。
 けれど、こんな状態の仲謀をこのままにしておくわけにもいかない。
 どうしようかと首をひねった瞬間、手にしていた竹簡が床へと落ちた。

「あ……!」

 慌てて拾おうと手を伸ばしたが、それより先に仲謀の手が素早く竹簡を拾い上げる。
 礼を言おうと顔を上げて、花は動きを止めた。竹簡を握る仲謀の顔が更に険しさを増していたのだ。

「……字を、習ってるんだって?」
「あ、うん……。子敬さんに」
「何で俺に言わないんだ?」
「だって仲謀、忙しいでしょ」

 こうして昼間顔をあわせたのも何日ぶりだというのに、仲謀に字を習うなんて無理な話だ。
 仲謀がそうしたいと言ったところで、周りがそれを許してはくれないだろう。
  
「忙しい、か。本当にそれだけが理由で俺に言わなかったのか? 他に何か理由があるんじゃないのか?」

 静かにそう言われ、花は思わず二の句がつげなかった。
 他に理由、という言葉に心当たりがありすぎた。
 確かに、仲謀に習おうと思わなかったわけではない。だが同時に、そう考えた時に同時にこの短気な王子様が教師に向いているとは到底思えなかったのだ。
 頭をよぎる剣舞のしごきを思い出し、花は思わず溜息をついた。
 
「……やっぱりそうなのかよ」
「だって……」

 口ごもると、仲謀の目が傷ついたように歪んだ。
 言い訳をしようと口を開くが、どう言葉にして良いかわからない。
 仲謀は教え方が下手そうだから? 仲謀に習うと怒られてばかりな気がするから?
 どれを言っても機嫌が良くなることはないだろう。
 どうにか良い言葉はないものかと考えていると、仲謀は竹簡を机に叩きつけ立ち上がった。

「おまえ……まだ玄徳の事を……」
「…………は?」

 思いがけない言葉を耳にし思わず動きを止めると、仲謀はそのまま大きな足音をたてて部屋を出て行った。
 しばらくその背を見送っていた花だったが、すぐに我に帰り慌てて彼の後を追いかけるべく立ち上がる。
 何がどうして玄徳の名前が出たのかはわからなかったが、仲謀がものすごく勘違いをしているのは明白だった。

「仲謀!」
「わ!」
「だいじょうぶー? 花ちゃん」

 部屋を出た瞬間、花は何かにぶつかりかけ慌てて身を翻した。間一髪ぶつかりはしなかったが、勢い余ってそのまま倒れこんでしまう。
 部屋の前にいたのは、大喬小喬姉妹だった。あのままぶつかっていたら、この小柄な姉妹は吹っ飛んでしまっていただろう。
 うまく避けられたのは良かったが、そのせいで仲謀の背中を見失ってしまった。

「だ、大喬さん、小喬さん、仲謀がどっちにいったかわかりませんか?」
「えー仲謀ー?」
「どっちだったかなー?」

 にやにやと笑ったその表情に、思わず花は動きを止めた。
 彼女達がこういう顔をする時は、必ず何かの騒動がある。

「……大喬さん、小喬さん……仲謀に何か言いました……?」

 自分でも驚くほどの低い声を出すと、姉妹は揃って視線をそらす。それが何よりの肯定だった。

「えー、別にぃ? 花ちゃんが子敬に字を習ってるって言っただけだよー」
「うんうん、お手紙書きたいんだってって言っただけー」
「……お手紙?」

 聞きとがめると、二人はそらした視線を戻し目を吊り上げてにやりと笑う。キツネのようなその笑顔に、花は頭痛を覚えた。
 
「うん、花ちゃんが玄徳軍にお手紙出したいんだってって言っただけー」
「間違ってないもんねー。尚香ちゃんも芙蓉姫も玄徳軍だもんねー」
「!」

 笑い声を撒き散らし、大喬と小喬はその場からぱっと駆け出した。
 残された花は、告げられた言葉のショックに思わずその場に膝をついた。

「仲謀……あの二人にまた遊ばれて……」

 そこまで呟き、はっとして立ち上がる。
 こんな所で脱力している場合ではなかった。あの状態の仲謀を放っておくわけにはいかない。
 どこへ行ったかは検討はつかないが、それでも花は重い腰を上げるのだった。

「うーん……。どこ行っちゃったんだろう……」
 
 人に聞いて回るわけにもいかないし、と思案していると、ふと庭の端で何かが光った。
 気のせいかと思いつつそちらへ目を向けると、木の陰からなにかが太陽光を反射しているのが見える。
 不審に思いながら近づけば、木の傍で誰かがいるのがわかった。

「……仲謀?」

 明るい髪の毛のその人物は、呼びかけで弾かれたようにこちらを向いた。
 その手に握られているのは、花もよく見知ったものだった。

「それ、鈴……?」

 花が以前彼にあげた鈴だった。光を反射していたのはその鈴に違いないだろう。
 
「……なんだよ。鈴を見てたら悪いのかよ」
「別に悪いわけじゃないけど……。ちょっと嬉しいかなって」
「はぁ?」

 思わず本音が零れてしまい、花は慌てて口をつぐんだ。
 そしてそのまま、木にもたれかかっている仲謀の腕に抱きついた。
 仲謀の体が固くなるのがわかったが、それでも力は抜かずに更にしがみつく。
 こうしていないと、思いはなかなか伝わらない。

「別に私、玄徳さんに手紙を書くなんて言ってないよ?」
「……」
「……そりゃ、ちょこっとは書く、かも、しれないけど……。でも、出そうと思ってるのは尚香さんと芙蓉姫だからね」
「……」
「……本当は、字を習ってるのだってこの世界にもっと慣れていこうと思ってるからなのに。……仲謀の傍でもっと役にたてるように」
「花……?」

 仲謀の体がそっと動く。花は、ようやく視線を合わせた恋人に向かって笑いかけ、胸元に隠してあったペンダントを引っ張り出した。
 呉と象ってあるそれは、仲謀からもらったものだった。それに音をたてて口付ける。
 それだけで、気持ちは伝わる確信していた。
 彼が自分があげた鈴を見つめていたのを見たとき、胸が熱くなったのと同じようにこの思いはきっと伝わるはずだ、と。

「花……っ!」

 体が引き寄せられ、仲謀に抱きしめらた。
 花は頬に仲謀の鼓動を感じながら、ようやく安堵の溜息をつく。
 
「あんまり、心配させるな。信用してないわけじゃないけど……多分、俺はまだまだ不安、なんだよ」
「仲謀……。うん、ごめん」
「俺も……その、悪かった。大小に乗せられるなんて、まだまだだな」

 まったくだ、という言葉は飲み込み、花は仲謀の体を抱き返す。
 それが合図であったかのように、仲謀の唇が額へ降りてきた。

「……でも、字を習うのは今まで通り子敬さんにお願いする」
「おい! 話聞いてなかったのかよ」
「これ以上仲謀の仕事を増やしたら、一緒にいる時間が少なくなるもん」
「……っ! だから、おまえはどうしてすぐそうかわいい事を言うんだ」

 今度の口付けが、問答無用で唇に降りてきたのは言うまでもなかった。




 その後、大幅に遅れたことを子敬に謝りその日の授業を受けた後、花の前に二つの影がぴょこんと顔を出した。
 にやにやと笑う大喬小喬姉妹は、何も書かれていない竹簡を花に手渡す。
 溜息を付きながら受け取ると、笑いを含んだ声が返って来た。

「ね、花ちゃん、私達にもお手紙書いてね」
「……わかってますよ。でも、仲謀の後になりますからね」
「えー!」
「せっかく、もっと仲良くさせてあげたのにー!」
「人前でいちゃいちゃしても大丈夫なぐらい、仲良しさんにしたげたのにー!」
「……っ! 見てたんですか!」

 真っ赤になった花を置いて、二人の姉妹は笑いながら走り去っていった。
 字を習おうと思ったのは失敗だったかもしれない。
 花は、ほんの少しそう思ったのだった。
 













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