「私が斬るんですか?」 鈴花は、己の声が震えているのを自覚した。
「歩む道」
鳥の声が徐々に遠くなってゆく。 生暖かい風を受けながら、鈴花は縁側に座ってぼんやりと空を眺めていた。 「よう、今夜は武田さんの送別会だってな」 永倉はほんの軽い気持ちで声をかけたつもりだった。 彼女はびくりと反応し、そうですねと声だけを返す。 そんな鈴花の背を見て、永倉はくしゃくしゃとその頭を撫でた。 「態度に出すな。例のことは俺も聞いてる。…オメー、芹沢さん時も傍に居たんだろうが」 崩された髪を手櫛で整えながら、鈴花は永倉の顔をちらりと見上げた。 「あの時は…気付いたのが直前でしたから…」 前もって知っている、ということはこんなにも辛く、かつ苦しいものだったのか。 宴会の時の山南が思い起こされる。 彼もあの時、こんな気分だったのだろうか。 「平気でいられるわけがねぇ。でもな、オメーがそんなに不安げにしてちゃあ武田さんだって変に思うだろうが」 「わたくしが何か」 唐突に会話に割って入った武田の声に、永倉も鈴花も慌ててそちらを顧みる。 「たっ、武田さん!荷の整理をしてたんじゃねえのか?」 「ちょっと局長どのに用がありましてな」 鈴花はすぐに武田から顔を逸らし、雲行きの怪しくなってきた空を見上げる。 永倉は武田から局長に呼ばれている旨を聞かされ、二人を残していくことに一抹の不安を覚えながらもその場を離れた。 「随分と、落ち込んでいるようだが」 鈴花はそれが自分に向けられた言葉であると気付くまでに、少しの時間を要した。 「め…めずらしいですね、武田さんが私のことを気にかけてくださるなんて」 「なに、ほんの気まぐれである」 武田は鈴花の横に腰掛けると、共に彼女の見る空を見上げる。 「きみは小幡景憲という人物を知っておるかね」 唐突に、武田はそう尋ねた。 「いえ、不勉強で…」 「真に不勉強であるな。わたくしの講義の中でも幾度かその名を出したことがあるはずだが」 必死で思い出そうとするが、聞き覚えはあっても何を為した人物なのかまでは覚えていない。 武田の講義に出てきたのならば、高名な軍術家だろうか。 「小幡景憲は関ヶ原前後に徳川に使えていた軍学者である。冬の陣の、真田丸の攻防において奮戦したという話が有名であるかな」 鈴花には武田の意図が全く読めなかった。一体この人は、何を考えて突然こんな話を始めたのだろうか。 「甲州流軍学の祖とも呼ばれ、わたくしが最も敬愛する人物でもある」 「そ、そうなんですか…すごいですね」 適当に相槌をうつことしかできない鈴花に、武田は尚も話を続ける。 「時代は変わり始め、洋式調練も取り入れられるようになった。 攘夷の志とは裏腹に、この新選組も、そして日本も変わらざるをえなくなっている。 …そのことはわたくしにも、よく理解できているのだ」 灰色の雲は少しずつ空を侵食し、遠い雨の匂いが鈴花の鼻をくすぐった。 「しかし、わたくしは小幡どのを尊敬し、甲州流軍学こそが最も優れた軍術であると信じている。 その考えは、今も昔も、そして今後も変わることはないであろう」 ぽつり ぽつり とうとう降り出した雨が地面の色を色濃く変えてゆく。 「わたくしが出てゆく日に雨が降るとは…神がいるのなら、それはきっと、よほどの根性悪なのであろうな」 武田は不思議な事を口にした。 確かに今日は彼の送別会を行うことになっているが、実際に出て行くのはもう少し先の予定になっていたはずだ。 「武田さん…?」 扇子を閉じると、彼はすっと立ち上がる。 眉をひそめ怪訝な表情の鈴花をちらりと見て、軽く唇の端を上げた。 「わたくしはわたくしの信ずる道を進む。きみは、きみの道を歩めばよいのだ」 返事を待たず武田はそのまま自室へと消えていった。 「私の道…」 鈴花は、幾度も武田の言葉を反芻していた。 武田さんは、私を励まそうとしてくれていたんだろうか。 …もしかしたら、全てを知りながら。 夜半過ぎ。 濡れた地面を踏みしめる影二つ。 二人は何も語らず、何も見ず、薄霧雨のなかを歩く。 「そろそろ、頃合ではないのか?」 ふいに一人が口を開いた。 もう片方は返事をしない。 「これ以上藩邸に近付けば、斬り合いの音で薩摩藩士が飛び出してこぬとも限らぬぞ」 場所は鴨川辺。 人気はない。 橋を渡ってしまえば、人通りが増える。 そこを抜ければもう薩摩藩邸傍。 「…やっぱり、全部知ってたんですね、武田さん」 「全部というには少々語弊がある。薄々感づいていた、というのが妥当なところであるか」 武田は手に持っていた番傘を道脇に放った。 「あの副長どのや監察の女狐がわたくしの動向に気付いておらぬとは到底思えなかったのでな」 ゆっくりと、鈴花は腰に帯びた刀に手をやる。 「わたくしはもはや、新選組に必要とはされておらぬ。その上に薩摩と手を結ぶような素振りを見せればこうなるは必定」 「今からでも遅くありません!せめて薩摩と縁を切れば命まで断つことは…」 「きみは軍師には向いておらぬな」 武田は刀を抜いて構えた。二尺余の刀身が霧雨に濡れ薄く曇る。 「先を読み不安要素を前もって摘んでおくことが軍師には何よりも不可欠である。 その点、副長どのはまことに軍術の何たるかをよく学んでおられるようだ。 …きみは、わたくしがこのまま逃げて通りに出たらどうするつもりか。 万が一人に紛れ逃げ遂せたら、それは即ちきみの、そして新選組の失態となるであろうに」 鈴花は答えない。否、答えられない。 「もし未だわたくしのことを仲間だと思っておるのならば、感傷は捨てよ。 今後ますます不安定な世になる折、そのような隊士は存在するだけで組の崩壊に繋がりかねぬぞ」 武田の言葉が痛い。 奥の歯をギリと噛み締めて、鈴花は剣を抜いた。 「…それでよいのだ」 剣の腕だけならば鈴花は武田を遥かに凌いでいた。 一度、二度…刃を交わし、鈴花の五度目の剣撃が武田の脇を斬り肺を裂く。 倒れこんだ武田の目に、すでに光はなかった。 鈴花は武田の目を伏せると、懐紙を取り出し刀を拭きあげる。 じっとりとした霧雨とは別の何かが、鈴花の頬を濡らした。 「終わったか」 刀を鞘に収めた後もその場を離れられずにいた鈴花の耳に、低い声が届く。 振り返ると、木の陰に土方の姿があった。 「…私では、この仕事がやれないとでも思ってらしたんですか?」 「そうじゃない。検分役が必要だろう」 「わざわざ土方さんが来ることもないかと思いますが」 知らず知らずのうちに、語調が強くなる。 そんな鈴花の様子を見て、土方は深くため息をついた。 「こういった仕事は、おまえには早かったか」 鈴花の涙の跡を見て、土方は後悔の念に囚われていた。 隊士の中でも古株になってきた彼女。 平隊士とはいえ、これまでの活躍ぶりからそろそろ重要な任務を任せてもいいと思ったのは間違いだったか。 …やはりこいつもただの女か。 「武田さんは新選組を愛してました」 「…知っている」 「薩摩と通じている以上、斬らなければならなかったのもわかっています」 「そうか」 袴の裾をきつく握り締めた後、鈴花は立ち上がった。 「新選組はこれから、どうなっていくんですか?」 「…さあな。そいつは俺にはわからん」 土方は武田の骸を見つめた。 「だが、俺たちは組の為に、ひいては国の為に生きなきゃならねえ。 それが死んでいった…死なせてしまった奴らに対するせめてもの弔いだ」 彼の目は武田を通して、芹沢や、山南や、散っていった数多の隊士達を見ているのだろうか。 遠い、と、鈴花は思った。 この人は一体、何を目指し、何処を見据えているのだろう。 「さっきの宴席で、武田さんが俺に何て言ったか教えてやろうか」 帰り際に、武田が土方に話しかけていた様を思い出す。 何を話していたのかまでは、すでに廊下に出て控えていた鈴花には聞こえなかったのだが。 「『一度成功したからとて幾度も同じ手段が通用するとは限りませぬ。 軍師たるもの、一つの目的の為に様々な策を練っておくことも必要なのですよ』だとさ。 酒を飲ませて斬るなんて事を何度も繰り返してりゃあ、そりゃ相手にも怪しまれるだろうしな」 土方は鈴花に背を向けた。 「それで武田さんが気付いてるって確信してな…様子を見に来た。それだけだ」 ぽつりぽつりと、再び大粒の雨が落ち始める。 土方は落ちている傘を拾い、鈴花にそれを差しかけた。 「行くぞ。後の処理は監察に任せてある」 二人はゆっくりと、屯所に向かい歩き始めた。 武田の骸は濡れ、彼女等がそれを振り返ることはなかった。 鈴花が己の道を見出すまで、今少し時が必要である。
花散りて 淵に積もるる 幾千の
紅き飛沫に さだめをぞ見ぬ
〜END〜 御礼ならもっとメジャーな人を選べばいいのにネ。