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十月十日

 夏の暑さも和らぎ、ようやく秋らしい風が吹いてきた。
 鈴花は縁側に座り、大きくなったお腹をそっと撫でる。
 自分の腹がこんなに大きくなるものだとは、今まで思ったこともなかった。
 まだ中で動く様子はわからないものの、そこには確実に命の息吹を感じる。
 自分が親になるのだという、ぼんやりとした実感を味わいながら、鈴花は腹を撫で続けた。
 生まれてくる子どもは男の子だろうか。それとも、女の子だろうか。
 鈴花は、そっと目を閉じた。
 生まれてくる子どもは、きっとかわいいだろう。
 腹の中にいる今でさえ愛しさがこみ上げるのだから、生まれてきたらどれだけ可愛いのか計り知れない。
 
 けれど。

 鈴花は、そっとため息をついた。

「どうしたの、鈴花さん。ため息なんかついちゃって。子どもによくないよ?」
「あ、平助くん……」

 ひょい、と後ろから現れたのは彼女の夫。生まれてくる子どもの父親であった。
 年を重ねて幾分男らしくなったものの、笑うとまだかわいらしさが見え隠れする。
 そんな夫の顔を見て、鈴花も表情を緩ませた。

「で?どうしたのさ。悩み?」
「……悩み……っていうのかな、これ……」
 
 困ったように笑うと、平助はすっと鈴花の横に腰を下ろした。
 腹を撫でる鈴花の手に自らのそれを重ね合わせ、そっと握る。

「何でもいいよ。思うことがあるなら、俺に言ってよ。俺達夫婦だろ?」
「……笑わない?怒らない?」
「うん、もちろん」

 平助が頷くのを見てから、鈴花は重い口を開いた。
 本当は、黙っていたかったこと。けれど、一人でこんな気持ちを抱えていてはいけないのだとわかっていもいること。
 
「私ね、親になる自信がないんだ」
「自信……?」
「うん。この子は、かわいいよ。私と平助くんの子だもん。かわいいに決まってる。でも……」
 
 そこまで言うと、鈴花は俯いた。
 平助は、何も言わない。焦られるようなことはせず、ゆっきりと彼女の手ごと腹を撫でた。
 それに励まされるように、鈴花は再度口を開く。

「私ね、物心ついた時から両親の仲が悪かったんだ。あ、そんな派手な夫婦喧嘩してたわけじゃないんだよ。
 でも、父は剣しか見えてなくて家庭なんか気にしない人だったし、母はそんな父にあからさまに嫌な顔を見せてたし」
 「……うん……」

 それは、聞いたことのある話だった。あまり自分の両親を話したがらない鈴花だったが、いつだったか父に似ているのだという男性を追いかけた時、そんな話をしていた。
 加えて、母が再婚して子どもが出来たのだとも何かの折に知ったことだ。

「だから、普通の夫婦が――普通の親がどんなものかわからないの。……こんな私が、母親になれるのかなぁって……」
「そっか……」
 
 言い終えて項垂れる鈴花を平助はそっと抱き寄せた。
 二人分の命は、彼の腕で静かに呼吸をする。それが愛しくて、涙がこみ上げる。

「大丈夫だよ。鈴花さんは、きっと出来る」
「……でも……」

「だって、俺は自信あるもん。生まれてくる子どもの良い父親になる自信。俺だって、家庭らしい家庭は知らないよ?」
「……あ……」

 鈴花は、思わず口を押さえた。
 平助の生い立ちの話は、新選組時代に聞いたことがある。
 藤堂候の御落胤。本当か嘘かは定かではないが、平助とて普通の家庭環境で育ってないことは確かだった。

「本当の家庭は知らないけどさ、俺たち家庭らしいところで過ごしたことあるじゃん」
「……え?」

 不思議そうに首を傾げる鈴花に、平助はにっこりと笑った。

「新選組!なんかさ、大家族みたいじゃなかった?」
「!」

 思いがけない言葉に、鈴花は笑みを漏らした。

「近藤さんは、お父さん?」
「そうそう!いっつもお母さんに怒られてるんだけど、いざって時は頼りになるんだ」
「え、じゃあお母さんは土方さんなの?」
「もちろん!で、さしずめおじいさんは井上さんかな?怒るお母さんを宥めてくれてたし」
「ちょっとそれはかわいそうだよ~」
「じゃあ、山崎さんはお姉さんね」
「おねえ……さん、ねぇ。微妙だなぁ。じゃあ、頼りないけど、左之さんと新八さんは兄貴かな」

 浮かんでいた涙は引っ込み、鈴花の顔に弾けるような笑顔が戻った。
 平助は、満足そうにその頬に唇を落とす。
 
「……ね?大丈夫だろ?俺たちは、きっと良い父親と母親になれるよ」
「……うん……」

 秋の風は、二人を優しく包む。
 こんな会話を聞いたら、彼らは怒るだろうか。
 二人でそう笑いながら、目の前を横切るトンボを眺めていた。
 茜に染まっていく空の中、トンボは流れるように飛んでいく。
 

「……あ!」
「どうしたの!?」
「今、この子、お腹蹴った!」
「うそ、マジ!?も、もう1回!!」
「ほら!!」
「うわ、本当だ!!」

 子どもがお腹の中に生を受け、この世に出るまで十月十日。
 あと、少し。
 年若い母と父は、優しい気持ちでその時を待つのだった。

 今はもう傍にいない家族を想いながら。





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