謹賀新年
元旦。正月。めでたいのは、わかる。
わかるけれど……!
鈴花は頭が痛くなるような光景を見て、呼吸が止まりそうになっていた。
箸が飛び交い、杯が舞う。徳利まで宙に投げ出され、酒が辺りに飛び散る。
着物などはもちろんひらひらと泳ぎ回っているし、見たくはないが下帯ですら飛んでいった気がする。
冬なのにそこまで脱いで寒くはないのだろうか。いや、酔っ払いにそんな感覚はもうないのだろう。
すさまじい酒宴が、鈴花の目の前で繰り広げられていた。ここは、祇園か島原か。そう錯覚させられそうな乱痴気騒ぎ。しかし、ここは
紛うことなく新選組の屯所。
大晦日、元旦ということもあって無礼講もいいところだった。
「近藤さんと土方さんが留守で本当に良かった……」
鈴花は、心の底からそう安堵する。局長はともかく、あの鬼の副長がこんな所を見るとどうなるか。考えただけでも恐ろしい。
宴会は、大晦日の夕刻から始まっていた。日付が変わった今、そろそろ潰れていることだろうと思ったのだが、どうやらそれは甘かった
ようだ。
厠ついでに新年の挨拶をと思った自分が馬鹿だった。後悔先に立たず、である。
「あ、桜庭さんだー!おめでとぉございま〜すぅ」
平隊士の呂律が回っていない言葉に、鈴花の体が緊張する。
やばい。
見つかってしまった。
その声を皮切りに、いつも彼女が稽古をつけている新入隊士たちが一斉に鈴花飛び掛った。
熱烈なる新年の挨拶。誰も悪気はないのだろうが、如何せん酒の力で理性がない。
その上、飲めない鈴花によってたかって酒を押し付ける。暴徒と化した彼らから逃れるために、鈴花は必死にもがいた。
しかし、それがいけなかったのだろう。うっかり開いてしまった口に杯を押し付けられ、酒が勢いよく流されてしまう。
「げほげほ……っ!ちょ、ちょっと……うわっ!」
鈴花がむせたところでそれはなくならず、我も我もと酒を勧めてくる。このままでは、身がもたない。
――つ、潰される……っ!
危険を感じた、その時。
ひょい、と体が宙に浮かび上がった。
いや、抱き上げられたという方が正しい。
「おまえら、いい加減にしろよ。桜庭を殺す気か?」
鈴花の顔のすぐ傍で、その声は聞こえた。
仄かに酒の匂いがするが、言葉はしっかりとしていて酔いは見られない。否、彼がこんな喋り方をする時点で、酔ってなどいないことが
わかる。
「……原田、さん……」
鈴花をしっかりと抱き上げた原田は、不機嫌そうに彼女に群がる隊士を見回した。
それだけで、辺りはしんと水を打ったように静まり返る。
どの顔にも緊張が走り、酔いなど吹っ飛んでしまったような様相だった。
原田は生来気が短い。だが、怒る時はほとんどがわめくか怒鳴るかのどちらかだった。それが今、見たこともない冷たい顔で隊士達を見
下ろしている。入隊して間もない隊士達の背に冷たい汗が流れた。
「そのへんにしとけよ、左之。ちっとばかし度が過ぎただけだって。なぁ、オメーら」
後ろから掛けられたのんびりとした声で、緊張の糸がふっと緩んだ。
酔いつぶれて寝ていたとばかり思っていたその声の主は、ゆっくりと起き上がり伸びをする。
「新八……」
「あーよく寝たぜ。飲みすぎたな。ほら、オメーらもそろそろお開きにしようぜ。こんなとこ土方さんに見つかったら大目玉だ」
笑いを含んだその言葉で、隊士達が弾かれたように片づけを始める。酒樽を運ぶその速さから、彼らが一刻も早くこの場から逃げ出した
いという気持ちが伝わってくるようだった。
その様子を見て、原田はそっと溜息をついた。
「左之、オメーは桜庭を部屋に連れてってやれ。もうすぐ潰れるぞ」
永倉にそう言われ、原田は腕の中の人物を見た。
ぼんやりと視線を彷徨わせたその眼は、もう酔いに霞んでしまっている。
原田は舌打ちし、踵を返した。
その様子を、広間にいた隊士全員が静かに見守っている。
新入隊士は、安堵の表情で。
古参の隊士は、笑いを堪えるような晴れやかな表情で。そして。
「……オメーら、いい仕事したぜ」
永倉がにやりと笑いながら、新入隊士を褒め称えたのだった。
ふわふわ、ふわふわ。
まるで雲の上を飛んでいるような錯覚を覚える。
その心地よさから、鈴花は小さく微笑んだ。
「……何だ、起きてんのかよ」
憮然と呟きながら、原田はそっと腕の中の鈴花を床に下ろした。
彼の部屋ならば布団は何時いかなる時でも引きっぱなしなのだが、ここは鈴花の部屋。布団は、きちんと畳まれ隅のほうに置かれている
。
ひいてやるべきだろうか。
ふと、そんなことを思ったが慌てて頭を振った。
今の鈴花を前にしてそんなこと出来るわけがない。
「……原田さん、私寝てました……?」
ぼんやりと焦点の合わない目を彷徨わせ、頬に手をやる。
そんな小さな仕草一つでも、妙に色っぽく感じるのはやはり酒の魔力というべきか。
原田は、慌てて眼をそらしながら立ち上がった。
「寝てねぇよ。ちょっとボケっとしてただけだ」
「ぼけって……ひどいなぁ……」
いつもなら烈火の如く怒り出すところなのに、鈴花はくすくすと笑い出す。
その笑い声で、更に原田の体温が上がっていくようだ。
「原田さん、飲んでなかったんですか?酔ってないみたい」
「夕刻から飲んでるから、一回潰れて寝て起きたところなんだよ。……酔ってんのはおまえの方だろ」
「そんな早く酔っ払わないですよ」
じゃあ、そんな眼で見んな。
思わず言いそうになった言葉は、ごくりと音をたてて喉の奥へ消えていった。
鈴花の部屋は狭い。たった一人の女性隊士、他の平隊士のように雑魚寝をさせるわけにもいかず、一人部屋があてがわれている。その為
、彼女の部屋は誰の部屋よりも狭い場所を与えられていた。
その小さな空間に、二人きり。
酒に酔って高くなった鈴花の体温が、空気を暖めながら原田にまで届くようだった。
原田は、ごくりと喉を鳴らした。
「……原田さん……?」
黙りこんだ彼を、鈴花はそっと呼ぶ。
小首をかしげて、潤んだ眼で。
原田は――。
もうすでに、彼女から眼が離せなくなっていた。
「……酒くせーぞ、桜庭……」
そっと呟いて、小さな体を引き寄せる。
抵抗する力のない鈴花は、崩れるようにその腕に収まった。
抱きとめる力強い腕。日に焼けた逞しいそれは、ひんやりと心地よく火照った頬を冷やしていく。
「気持ちいいです……」
くすくすと笑いながら呟く口を、原田のそれがそっと塞いだ。
咥内を行き来する唾液は、やはりどちらも酒臭い。
「酔っちゃいそうですよ?」
「酔ってんだろ」
「原田さんは酔ってないでしょ?」
そのまま呟けば、言葉が出る度に唇が触れ合う。それが何ともくすぐったく、鈴花は小さく笑った。
酔っているのかもしれない。けれど、酔わなかったらこんな風に素直に甘えることは出来ないだろう。
「……俺だって酔ってるよ」
「嘘。だって、普通ですよ?」
酔ってなかったら、押し倒せるかよ。
その言葉は、暗い闇の中に溶けて消えていった。
後に残るのは、二人の熱い吐息のみ。
互いに、顔の赤さを酔いのせいにして。
衝動のままに愛しい人を求めるのも、酔いのせいにして。
不器用な二人の新年は、こうして明けていったのだった。
あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
フリーー創作にしようかともお思ったのですが、もらってもらえなかったら悲しいかなぁと思い明記せず(笑)
もし貰って下さる方があれば持っていってください。
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