恋愛感染メール





「あー、もう! おっそいんだよっ!」
 
 反応の鈍い扉に文句を言いつつ、ヴィオレは通信室へ飛び込んだ。
 目当ては、愛しい彼女からのビデオメール。地球から大気圏を越えて来た1週間ぶりのメールは何を置いても優先して見るべきものだった。
 椅子に座るのももどかしく立ったまま起動ボタンを押すと、唸るような機会音が鳴り響きながらゆっくりと画像が浮かび上がった。
 最新艦に取り付けられた最新機器は、通常のものよりも早く立ち上がるはずなのだが、その速度さえゆっくりに感じてしまう。
 どれだけ自分が彼女を欲しているのかを再確認し、ヴィオレは掌をきつく握り締めた。


 藍澄が地上勤務になり、ヴィオレが再び艦に乗って宇宙へ上がってから1ヶ月が経とうとしている。
 プライベートな事に使える通信手段はメールのみ。その中でも、かわいらしい彼女の姿が見られるビデオメールは貴重なものだった。
 逸る心を押さえて自分のパスワードを入力すると、画面に天城藍澄の文字が出てくる。それすら愛しく思いながら、ヴィオレはメールを開いた。
 うっすらと向こうが透ける青い光のした下に、髪の毛を下ろした藍澄の姿が浮かび上がった。その表情はいつも通りにこやかではあったが、その瞳がほんの少し寂しそうに見えるのは決してヴィオレのうぬぼれではないだろう。

「こんにちはヴィオレさん、お元気ですか?」

 実際よりも不透明な声が、狭い通信室へ響く。機械を通したその声だけでも、ヴィオレの胸は熱くなった。
 話す内容は、先週は風邪をひいてしまったが大したことはなかったとか、クロエに彼氏が出来たらしいとか、他愛のないものばかり。検閲を受けるので仕事関係の事は、同じEUG所属でも口には出来ないから当たり前といえば当たり前なのだが、それでも気になるのはそこだった。
 同じ艦で生活していたからこそ、彼女がどんなことで悩んだり困ったりしていたかはよく知っている。
 問題にぶち当たっても、それを乗り越えていく強さも持っているということはわかっているが、それでも彼女の傍で支えられた時と今とでは心配する度合いがまるで違う。
 辛いことはないのか、俺に手伝える事はないのか。
 
「仕事も、順調ですよ。わからないことは相変わらず多いですけど、何とか頑張っています」

 ヴィオレの声が聞こえたのか、藍澄はそう言って小さく笑った。

「俺が心配していることは、藍澄にもお見通しってわけか」

 釣られて小さく笑い、ヴィオレはようやく椅子に腰掛けた。 
 頑張っています、の言葉に嘘はないだろうが、それでも心配は消えることはない。
 この思いはきっと、彼女に会うまで続くのだろう。

「ヴィオレさん……」

 不意に、目の前の小さな藍澄が声を詰まらせた。はっとして機械を見つめていると、薄い彼女の影が小さく揺らめいた。

「……会いたい、です……」

 ぽつりと呟かれた言葉に、ヴィオレの心臓は高鳴る。
 食い入るように、目の前に浮かび上がる藍澄の顔を見れば、その目は潤み肩は小さく震えていた。
 
「藍澄……っ!」

 抱きしめたい衝動に駆られ、機械をきつく握り締める。
 しかし、彼女が弱音を吐いたのはその一度きりで、後は取り繕うように無理やり笑顔を浮かべてメールは終わった。
 しかし、ヴィオレの脳裏にはいつまでも藍澄の寂しそうな声が響いている。

「俺だって会いたいさ……」

 宇宙へ上がったのをここまで後悔するのは、生まれて初めてだった。



 それから一週間は、何の変化もなく過ぎていった。
 ただ、頭の中にはいつも藍澄の姿があり、時には仕事中に宙を見つめてしまってその度にボリスにスパナで殴られている。
 こんな事は初めてだった。
 以前は、自分は普通の人間よりも恋愛経験は豊富だと思っていた。それが本当に「恋愛」であったかと問われれば、違うとしか答えようがない。
 以前ならば、恋人に会えなくてここまで苦しくなることは皆無だったはずだ。

「藍澄……」
 
 日に日に、抱きしめたいと想う気持ちは強くなるばかり。

「抱きしめて、キスして……。あいつが嫌がっても一晩中いや、一日中ベッドにいて……」

 そこまで考え、ヴィオレは頭を振った。これ以上考えると、会いたい気持ちが膨らみすぎて眠れなくなってしまう。
 ただ一回のメールが、彼の頭の中を侵食してしまっていた。
 小さく溜息をつき、時計を見るが先ほどと1分も変わってはいない。
 あのメールから3日目。今日は藍澄からメールが届く日だった。
 通信室の順番までは後少しだったが、ヴィオレは待ちきれずに自室を飛び出した。

「あ、ヴィオレさん」

 通信室につくと、ちょうど見知った顔の通信士が出て来るところだった。
 その彼を押しのけるように、通信室へ滑り込もうとすると――。

「今日はヴィオレさん宛てのメールはありませんでしたよ」
「……は?」

 のんきなその声で、焦っていた頭は停止した。
 艦が地球をたってから、きちんと一週間おきに来ていた藍澄からのメールがないと彼は言う。
 しかも、前回のメールはあんな内容だったにも関わらずだ。
 
「それよりもヴィオレさん、もうすぐコロニーに着くみたいだから持ち場に帰った方が良いと思いますよ」

 通信士のその声は、もうヴィオレには届かなかった。

「どういうことだ……何かあったのか?」

 呟くと同時に、胃の中が冷たくなる。
 ただ、メールを出すのを忘れたのだったらまだ良い。しかし、前回の様子からして、藍澄がメールを忘れるとは思いにくかった。
 仕事で何かあったのか、それとも体調を崩したのか――。
 それを確かめる術は今はない。艦の通信システムは私用に使うわけにはいかないし、この艦の艦長はそれを許してくれるほど甘くはなかった。

「こっちからメールを送って反応を待つしかないのか……?」

 悔しそうに言ったその時、艦内に聞きなれた音が響き渡った。
 そこでようやく、コロニーへ着くから持ち場へ戻れと言った通信士の言葉を思い出す。
 
「……コロニーに着いたら、民間の通信システムも借りられるか」

 今すぐにでも地球へ飛んで行きたい気持ちを押さえ、ヴィオレは整備デッキへと足を進めた。
 何としても、着くと同時に通信機を借りる場所を見つけ出してやる、と心に誓って。

 しかし、そんな彼の誓いは全く無駄に終わる。
 コロニーに着くと同時に、ヴィオレは足止めを食らったのだ。

「何でだよ、何で俺だけ外に行けないんだよっ」

 イライラしながらそう叫ぶと、がんと派手な音でボリスに頭を殴られた。

「落ち着け。客が来てるから待てって言われてるだろうが」
「いってぇな、おやっさん! 俺は大事な用があるんだって」
「うるさい、あーほら、来たんじゃないのか?」

 この忙しい時に来る客なんてろくなものじゃない。大体、こんなコロニーに知り合いなどいただろうか。もしかすると、かつてつきあっていた女かもしれない。そんなものに会ってたまるものか
 そんな事をつらつらと考えていると、整備デッキのドアガ音を立てて開いた。
 文句の一つでも言ってから、すぐに艦を出てしまおうと決意してドアの方を見たが――心意気は客の姿を認めた瞬間音をたてて崩れていった。

「……え……?」

 そこには、こんな所にいるはずもない姿があった。
 
「……藍、澄……?」
「来ちゃいました、ヴィオレさん」

 はにかんだように笑い、小走りに駆け寄ってくるその姿は夢にまで見た愛しい彼女のものに違いはなかった。
 何故地球にいるはずの藍澄がコロニーにいるのか、そんな当たり前の疑問は彼女が抱きついてきた衝撃でどこかへ飛んで行ってしまう。

「会いたかった……っ」
「……藍澄、本当に……?」
「嘘だと思うんですか?」

 からかうような声音に答えるように腕にあるぬくもりを抱きしめると、柔らかな彼女の香りが広がり、ヴィオレはたまらずその体を思い切り抱きしめた。
 
「藍澄、藍澄……っ!」
「ヴィオレさん!」

 1ヵ月ぶりの彼女の体温を確かめ、更に彼女の存在を味わおうと体を離したが……。後ろからわざとらしい咳払いが聞こえ、我に返った藍澄の体がそれを許してはくれなかった。

「あー……続きは部屋でやってくれんかね」
「お、おやっさん……まだいたのかよ」
「あ、やだ、ご、ごめんなさい……っ!」

 気まずそうなボリスの声に、抱きついてきた時同様唐突に藍澄の体が離れる。
 それを寂しいと思うまでに、ヴィオレは彼女の腕を掴んだ。

「え、ちょっと、ヴィオレさん?」
「いいから!」
「だ、だって、ボリスさんにご挨拶……! あ、それにここの艦長さんにもご挨拶しないと……」
「んなもんは後だ後! おやっさん、後はお願いしますよっ!」

 若いなと笑うボリスの声を背中に、ヴィオレは藍澄を自室へと引きずっていった。
 手を離すと、彼女の存在がまた遠くに行ってしまいそうな気がして、藍澄が何とわめこうと他のクルーから白い目でみられようと、構いはしなかった。

「……んっ!」

 自室のドアをもどかしく開け、それが締まる前に我慢していた欲求がヴィオレの体から勢いよく噴き出す。
 早足で動いた為、息を乱す藍澄の唇を乱暴に塞ぐと抗議するように彼女の手が胸を叩いた。
 だが、離れるわけには行かない。あのメールを見た3日前から、ヴィオレの体は藍澄欠乏症に陥っていたのだから。

「ん、はぁ……っんんっ!」

 何度も角度を変えて彼女の唇を舐めあげ、互いの舌を絡ませる。
 思いのたけを注ぎ込むように何度も何度も藍澄の唇を貪ると、ようやく気持ちが治まるのを感じヴィオレは唇を離した。
 ぐったりとする体を支えながら、腕の中の彼女を見るとその目はあのメールと同じく潤んではいたが、決して悲しそうな色は見受けられなかった。

「……なんで、ここに?」

 まだまだ味わい足りないが何とか人心地はつけたので、ようやく当たり前の問いを口にすることが出来た。
 未だ細かい息を繰り返す藍澄は抗議するようにヴィオレを睨み、それでも息を整えて口を開く。

「ヴィオレさんが悪いんですよ、あんなメール送ってくるから」
「あんなメール?」
「だ、だって……検閲が入るのに、その、好きだとか、会いたい、とか……だ、だ、抱きたい、とか……っ」

 顔を赤くしながらまくしたてる藍澄の言葉で、彼女の言う「あんなメール」の意味を理解した。
 確かに、一週間のメールの返信は、たまらずそんな事を言ったような気がする。だが、そもそもの発端は藍澄のあのメールにあるのではないか。

「あんな事言われたら本当に会いたくなっちゃって……じゃ、じゃなくて! け、検閲入るのに、あんな事言われたら恥ずかしいから、阻止しなきゃって……」
「自動検閲なのに?」
「それでも恥ずかしいです! だから、ちょうどこのコロニーに視察に行く仕事があったし、この艦がここに着く可能性もあるって聞いたから、それで……」

 藍澄の言葉に、彼女がここに来れた理由については納得が出来た。しかし、不満は残る。それではまるで自分一人が悪いみたいではないか。
 ヴィオレはむっと顔を曇らせた。

「あのメールは藍澄が、会いたいーって泣いて言うから思わず……」
「わ、私泣いてなんていません!」
「泣いてただろ」
「泣いてませんって!」
「いーや、泣いてた」

 泣いてません、という強がりは再び重なった唇の中に消えていく。
 甘いキスを味わいながら、互いの思いは同じだった事を確認すると、一週間分の焦りが溶けてなくなるのを感じた。

「藍澄は言いたいこと我慢しすぎなんだよ。会いたいなら最初からそう言っていれば良かったのに、変に我慢するからあんなメールになるんだぜ?」
「ヴィオレさん……」
「言葉よりも俺はあの目にヤラれたね。メールで恋しさ倍増だ」
「……もう……」
「だからな、藍澄。今度からは言いたい事を我慢するな。今度あんなメールが来たら、俺きっと艦を降りて地球に帰っちまうな」
「そ、それはダメですよ!」

 焦る藍澄に笑いをこらえながら、ヴィオレは彼女の体を優しく抱きしめる。
 メールによって感染したその病は、どこかの国では医者でも温泉でも治せないという病が悪化したもの。治す術は、愛しい彼女しか持ち得ない。
 治りたいとは思わないが、それでも残りの長い旅を乗り切るためにも、ここは彼女を補給するしかなかった。
 そして、その補給は藍澄の想像を遥かに超える時間行われ、彼女はメールには素直に自分の気持ちを載せようと心に誓うのだった。
















モドル