今日は離れてやらない
「思ったより遅くなっちゃった……」
艦長室を出ると、もうすでに就寝時間は過ぎていた。この時間に起きているのは、当直のクルーのみだろう。
足早に自室へ向かいながらも、藍澄は廊下に響く足音が出来るだけ小さな音になるよう気遣った。
「もう……雪乃さんのお小言って、段々長くなってる気がする……」
静まり返った艦内を歩きながら、思わず愚痴が口をついて出た。
今日ここまで遅くなってしまったのは、作戦会議が長引いた為だった。しかし、前の戦争の時と違い、新しくなったエリュシオンは今度こそ平和維持活動を主に行っているので、以前よりも作戦会議は少なくなってきている。
いや、当初の予定では少なくなるはずだった。
しかし、鬼の副艦長はことあるごとに会議の召集を行い、そしてそれは時間がたつにつれ会議というよりはただの小言に変化していった。
今回も例に漏れずそのパターンで、軽く1時間は小言で時間を食っていた。
「私が悪い……んだろうけど、さ……」
雪乃の小言に自分が悪いという気持ちはある。自分さえしっかりしていれば、彼にここまで気を回させる必要がないのだから。
けれど、藍澄にもどうしようもないことはたくさんあるのだ。
こと、彼に関しては。
藍澄は大きなため息を漏らしながら、ようやくたどり着いた自室の前でカードキーを取り出しディスプレイにかざした。しかし、黒い画面のディスプレイにはなんの表示も映らない。
不審に思いながらドアに近づくと、それは軽い音をたてて瞬時に開いた。ロックはかかっていなかったようだ。
「え……きゃっ!」
灯りのついた自室に驚いた瞬間、何かに手を引っ張られて藍澄はバランスを崩した。
ドアの閉まる音を背中で聞きながら、その体は何か温かいものにぶつかる。それが誰かの体だとわかったのは、視界に移ったICSEOの制服のおかげだった。そして、こんな事をしでかす人間は一人しか思い当たらない。
「フェンネルさん?」
「何でこんなに遅いんだよ」
頭上から降ってくる低い声は予想通りの人物のもので、体の力が一気に抜けた。
「……何で部屋の中に入ってるんですか」
「おまえが遅いからに決まってるじゃねぇか」
「じゃなくて、私かぎかけてましたよね」
「そんなもん、前来た時に探し当てたに決まってるだろ」
さらりととんでもない事を言われたが、それもまた予想出来た答えなので藍澄はさほど衝撃は受けなかい。彼にスペアキーを持っていかれるのはこれで3度目だった。
以前は何とか説き伏せこっそりと返してもらってはいたが、前回ついに雪乃にバレてしまい二人揃ってお小言を喰らってしまった事を彼は忘れてしまったのだろうか。
小さく溜息をつくと、体に回された手が不満そうにぴくりと動く。
「……何だよ」
「この前雪乃さんに怒られたの、忘れちゃったんですか?」
「兄貴なんて関係ねぇよ」
「またそんなこと言って……」
困ったように呟く藍澄の頭の中には「艦内恋愛禁止」と眼鏡を光らせる副艦長の姿が蘇っていた。
そんな彼女の頭上から大きな舌打ちが聞こえ、思わず顔をあげるとフェンネルが切れ長の双眸を機嫌悪そうに細めている。
「で、こんな時間まで何してたんだ?」
「何って、仕事ですよ。会議してたんです」
「俺は呼ばれてないぞ」
召集をかけたところで素直に来ない癖に、との言葉はあえて飲み込んだ。
新生エリュシオンには、かつてのエリュシオンに乗り込んでいたクルーの他にICSEOの軍人も何人か配属されている。前の戦争での確執は全くないとは言い難いが、それでも今では良好な関係を築けていると誰もが思っていた。
ただ、フェンネル一人を除いて。
彼とて、大きな命令違反を犯したり命令を丸きり無視することは決してない。けれど、軍人にしては自由奔放すぎた。特に、彼の兄が口を酸っぱくして言い続ける「艦内恋愛禁止」は綺麗さっぱり守られていない。
エリュシオンに乗り込む前、彼の元上司であるイーラには「苦労するぞ」と苦々しく言われた意味を、藍澄は宇宙に出てから実感したのだった。
フェンネルは、藍澄に対しての感情を隠そうとはしていない。二人の関係こそ口に出してはいないが――出していないはずだと藍澄は願っているのだが、言葉にしていないだけで双方の接し方を見るクルー達にはおおよそばれていることは鈍い彼女にもわかっていた。
何しろ彼は、3日に一度は彼女の部屋から任務に向かうのだから。
「……今後の方針の確認でしたので、SGパイロットの皆さんはお呼びしていないんですよ」
言葉を選んでそう告げたが、彼の機嫌は更に悪くなる。
「で、誰と会議だったんだ?」
「……雪乃さんです……」
「後は?」
「…………」
「ふーん、兄貴と二人きりだったって事か」
うまい言い訳が思い浮かばず、藍澄は視線をさまよわせた。やましい事は何一つないし、その上遅くなった理由も目の前の彼にあるのだから、文句の一つでも言ってしまいたいところではあるのだが、それを実行したところで彼の理解が得られるわけはないだろう。
「藍澄……」
黙りこんだ彼女に、フェンネルの声が低くなる。しまった、そう思った時には遅く、藍澄の唇は彼のそれに塞がれていた。
最初から深いキスは容赦がなく、息継ぎの隙も与えられずただ彼の熱情を注ぎ込まれる。
「んん、ふ、うぅ……っ」
抵抗する腕も掴まれ、酸欠で体の力が抜けてもさらにキスは続く。キスで死んでしまうかもしれないと彼女が本気で思い始めた頃、ようやく彼女は解放された。
崩れ落ちる体を抱きとめられ、そのまま近くにあったベッドへと寝かされる。浅い息を繰り返し、何とか頭を働かせようとフェンネルを見ると、その顔はまだ不機嫌そうにしかめられたままだった。
「兄貴といちゃついてたんじゃねぇんだろうな」
あの副艦長がそんな事をするわけがないとフェンネルとてわかっているだろうに、彼はことあるごとに雪乃との仲を疑う。
それは藍澄自身の心を疑っているのと同じ事で、彼の行動に困らせられる事よりも辛かった。
藍澄はようやく整った息を小さく吐き、そろりと腕を上げ目の前にある端整な顔に触れた。
冷たそうに見える彼も、その体は温かい。こうやって触れるだけでも温かいが、抱き合えば驚くほど熱くなる事を藍澄は知っていた。
「フェンネルさんの、馬鹿」
呟きながら、触れた手に力を込める。彼女に導かれるようにフェンネルの顔が降りて来、触れる程近くに来た所で藍澄は自分から唇を重ねた。
先程とは違う、軽く重ね合わせるだけのキスの合間に何度も「馬鹿」という言葉を織り交ぜると、その言葉は本来の意味とは違う甘い言葉へと変化する。
「藍澄……」
「ん、あ……」
熱くなった吐息が藍澄の耳をくすぐり、大きな手が彼女の軍服を乱していく。
すでに敏感になるつつある胸の先端を指が掠めたところで、藍澄ははっと目を開けた。
彼女の肌はそのほとんどがフェンネルの目の前に晒されていたが、それでも衣服はまだ彼女の体に纏わりついたままで、こんな状態で事に及んでしまっては皺になるどころか下手をすれば汚れてしまう。
「ん、や……フェンネルさん、フェンネルさん、待って……」
「なんだよ、黙れよ……」
「やぁん……!」
胸の先を甘噛みされ、藍澄の口からは嬌声が上がる。それを楽しむかのようにフェンネルは彼女の胸を執拗に攻めていったが、それでも藍澄は何度も彼の腕を叩いた。
軍服の予備はまだあるが、それはクリーニングに出したまま。その理由も、前回服を着たまま彼に抱かれてしまったからなのだ。
同じ哲を踏むわけにはいかないと、快楽に溺れそうになる己を必死に奮い立たせると、ようやくフェンネルが彼女の体を弄る腕を止めた。
「あの、フェンネルさん、服が汚れちゃうから……」
「だから?」
「だから、その……」
口ごもる彼女の意図は、彼にも通じているはずだった。その証拠に、フェンネルの顔には人の悪い笑みが浮かべられている。
困った藍澄が目をそらすと、フェンネルは彼女の太腿の内側をそっと撫で上げた。
「黙ってるんなら、このままやるぞ」
それが脅しなどではないということは彼女が一番よくわかっている。
覚悟を決めると、藍澄は赤くなる顔を手で隠しそっと呟いた。
「脱がせて、ください……」
その瞬間、破られるのではないかと思う程性急に衣服を剥ぎ取られ、ついでに彼自身も服を脱ぎ捨て、その勢いのまま彼女の体は宙に浮き上がった。
「え、きゃぁ……っ!」
抱き上げられたのだとわかった時、彼女の潤んだ泉には大きな指が差し入れられていた。
「やぁ……、そんな、いきなり……っ」
「うるせぇ……お、まえが、煽るからだろ」
切羽詰った声同様、指もいつもより余裕のない動きで中を探る。藍澄の弱い場所を刺激して蜜を増やす。
彼女の体を熟知した動きは的確で、すぐにフェンネルの掌はべったりと濡れそぼった。
くちゅりと淫猥な水音を響かせながら彼の指が抜き取られ、すぐにそれを上回る大きくて熱い彼自身が藍澄の中心へ入り込んでいく。
その存在感に眩暈を感じ、藍澄は大きく体を震わせた。
「く……っ! そ、んなに締めんな……」
「だって、だって……フェンネルさ……ああ……っ」
藍澄の中に全てを収めると、フェンネルは静かに息を吐く。その赤い目は更に色を濃くし、藍澄だけを映していた。
出会って間もない頃、自分が怖いかと問いかけた時はひどく冷たく見えたその目は、今は熱ささえ感じられる。
「フェンネルさん……フェンネル、さん……!」
手を伸ばしフェンネルの体を抱き寄せると、二人の体は更に密着する。互いの心臓の音をシンクロさせながら、フェンネルの動きは激しさを増した。
肌がぶつかり合う音と、どちらのものかわからない水音が狭い部屋の中に響いたが、藍澄にはそれを気にする余裕はもうなかった。
「フェンネルさん、好き、です……!」
誰よりも、あなただけ。
言葉にならない想いをキスで伝え、藍澄はフェンネルを強く抱きしめた。
「……今夜は、離れてやらねぇから、な……っ」
その気持ちが届いたのかどうかはわからない。
けれど、彼女を抱く腕が強くなったのに比例し、降り注ぐキスは優しいものになったのはきっと気のせいではないだろう。
そして、次の日の朝。
体に巻きついた腕を離すのに苦労し、更に仕事に行かないと駄々をこねるフェンネルを宥めるのに苦労し、やはりフェンネルとは一度冷静に話し合おうと、藍澄は心に決めたのだった。