人気者の君に妬く
きゃあ、という華やかな歓声が後ろで上がり、藍澄は思わず振り返った。
そこには、SGのシュミレーションを終えた若きパイロット達の姿があり、その真ん中には彼女がよく見知った顔があった。
歓声は、明らかに彼に向けられたもので藍澄は思わず溜息を漏らした。
和平が成立し、エリュシオンのクルーがそれぞれ別の道を歩き始めてから3年がたった。
藍澄は地上勤務になり戦いとは無縁の生活を送ってはいたが、それでもエリュシオンの艦長としての名は未だ健在で、テレビや雑誌で取り上げられる事もしばしばある。
それだけではなく、平和が人々の生活の中で実感されるようになってからは藍澄だけではなく他のクルーもテレビに映される機会が増えてきた。
その中でも注目されたのが、SGパイロット達。一見華やかなヒーローに見える彼らは早くから注目されていた。
しかし、レイシェンはその寡黙さがテレビ的ではなく、ルシオに至っては気遣いなど全く無用で逃げてしまう為、全てのしわ寄せがヨシュアに来てしまっている。
以前の彼ならばレイシェン同様敬遠されただろうが、幸か不幸か気遣いというものを覚えてしまった彼は生来の不器用さも手伝って、うまくテレビから逃げられない事が多かった。
加えてその血筋と顔まで注目され、王子とまで呼ばれるようになってしまった時には、ヴィオレを中心としたクルーからもその名でからかわれてしまうほど熱狂的なものだった。
そして、今。
藍澄同様地上勤務になったヨシュアの所には連日ファンが押し寄せることも珍しくはない。
先程の黄色い声も、全てヨシュアに向けられたものだった。
「……別に、いいんだけど、ね……」
口先だけではそう言いつつも、藍澄の心中は決して穏やかではない。
この3年でぐんと背が伸びたヨシュアは、その顔を見慣れた藍澄でさえはっとするほどかっこよかった。
恋人です、とはっきり言えば良かったのかもしれない。
けれど、有名になりすぎた二人にそれは難しく、芸能人でもないのにつきあっていることは当然秘密だった。
知っているのは、元エリュシオンのクルー、そして藍澄が懇意にするほんの一握りの人間に過ぎない。
だからこそ、彼が騒がれているのを目の当たりにしても不機嫌になることは許されないのだが――。
「…………」
それでも彼が騒がれている姿を直視は出来ず、藍澄はくるりと踵を返した。
今日はもう仕事は終わった。当初の予定では、職権をほんの少し乱用してこっそりSGの訓練を覗いてこようかと思っていたが、そんな気ももう薄れてしまった。
「……仕方がないよ……」
こうやってSGパイロットが黄色い声を受けるのも、平和になった証拠だ。
そう自分に言い聞かせ、藍澄は自宅へと向かうのだった。
それから、2週間がたった。あれから一度もヨシュアの姿を見ていない。
仕事のスケジュールが合わないというのが大きな原因だが、それでも無理を通せば何とか姿だけでも見ることは出来たはず。
それをしなかったのは、やはり2週間前のあの姿が目に焼きついているからかもしれない。
黄色い歓声を上げる女の子達。そして、対応するヨシュアは迷惑そうな顔こそすれ、追い払おうとする気配は見せなかった。
藍澄は鞄から携帯を取り出し、そっと開く。画面の上にある未読メールのマークを見て、暫し逡巡した後そのまま携帯をぱちんと閉じた。
「仕事が忙しいし、ね」
そう勝手に理由をつけて、今日もまたメールを黙殺する。
未読メールはもう何件になっているのだろうか。それを確認するのもまた怖かった。
「天城大佐!」
「……今、行きます」
部下に呼ばれ、藍澄は携帯を勢いよく鞄の中に突っ込んだ。頭を仕事に切り替える為に無理やりヨシュアの影を追い出すと、藍澄は急いで自分のデスクへと戻った。
「……疲れた……」
一連の仕事が終わった時、日はどっぷりと暮れていた。
肩をほぐしながらスケジュールを確認すれば、明日は久しぶりのオフとなっている。
「昨日までは休みなんてなかったよ、ね……?」
「働きすぎだから休みを入れろとの上からの命令でしたよ」
藍澄の問いに答えるように、部下の朗らかな声が返って来た。
確かに、忙しい仕事はたった今終わらせたところだが、働きすぎは誰も同じで本来ならば先に部下を休ませたく、そういったようにスケジュールを組んでいたはずなのに。
「私だけ先に休むわけには……」
「いいんですよ、大佐。それに命令ですから、仕方ないと思ってください」
それでも渋る藍澄に部下は何度も命令だと繰り返し、それ以上何も言えずお礼の言葉と先に休みを取る侘びを入れて、部下に追い出されるように仕事場の扉を後にした。
後ろ髪を引かれつつエレベーターのボタンを押し、時間を確認するとまだぎりぎりバスの時間に間に合いそうだ。
気持ちを入れ替え到着したエレベーターに乗り込むと、急に疲れが藍澄の肩に圧し掛かった。
「……タクシーで帰ろうかなぁ」
エレベーターのドアが開くのと、ぽつりと呟いたのはほとんど同時だった。そして、エレベーターを降りようとした瞬間、藍澄はぎくりと体を強張らる。
「……ヨ、シュア、さん……?」
「タクシーよりも安上がりで帰れる方法があるけど、どうする?」
しかし、彼は答えを待たずにエレベーターに乗り込み、そのまま地下駐車場までのボタンを押したのだった。
エレベーターの中に気まずい沈黙が流れる。それは、密室での緊張感だけではなく、エレベーターを降り彼の車に乗り込むまで続いた。
「……ヨシュアさん……?」
「何だよ」
「お、怒ってます……?」
「怒られるような事したわけ?」
はい、と答えるには彼の無表情は怖すぎて、藍澄はそのまま唇を噛み締める。
ヨシュアも答えを期待していたわけではないらしく、無言でエンジンをかけ二人を乗せた車は静かにEUG本部の駐車場を滑り出した。
流れていく街灯を見つめながら、藍澄は話の糸口を必死で探す。
まずはメールに返事を出さなかった事を謝らなければいけないことはわかっていたが、まさかまだ見ていないとはさすがに言いづらい。どうしたものか、と視線をずらせば、運転するヨシュアの横顔が目に入った。
薄暗い車内でもわかるほど整った顔立ち。初めて会った時には下ろしていた前髪は今では後ろに撫で付けられ、精悍さを演出している。久しぶりに見るその顔に思わず見とれていると、ふと違和感に気付く。
「ヨシュアさん、疲れてるんじゃ……」
釣りあがり気味の目の下にはうっすらと隈が出来ていた。
「疲れてるさ。若いやつらはちっとも俺の言うことなんか聞かないし、指導の身になってからはろくにSGにも乗れない」
そこまで言い、ヨシュアは視線を藍澄に送る。その鋭さに体を固くすると、大きな溜息が聞こえた。
「……一番疲れたのは、どっかの誰かがちっとも連絡取れなくなって、らしくもないのに毎日何通もメールした事かもしれないけどな」
「あ……」
小さく呟くと、不意に車が止まった。まだ自宅ではなく、そこは大きな公園のように見えた。
慌ててシートから体を起こそうとすると、力強い腕に阻まれる。
「ヨシュアさん……」
「藍澄……どういうつもりだ?」
「え?」
「俺と一緒にいるのが嫌になったのか?」
「そんなこと……!」
ない、と答える前にシートベルトが外され、藍澄はヨシュアの体に包まれた。
軍服を通してでもわかる筋肉のついた体は小さく震えているようで、藍澄ははっとした。
思い出すのは、エリュシオンでの出来事。エリュシオンを降りることを告げた時、藍澄は彼を、ひどく傷つけた。
あの時は彼の為と思ってしたことだったが、今の自分はどうだろう、彼の事など考えず、ただ勝手にヤキモチを妬き彼を傷つけている。
ヨシュアがどれだけ傷つきやすいかは身を持って知っていたはずなのに――。
「ごめ、んなさい……わ、私……」
藍澄はそっとヨシュアの背中に腕をまわした。久しぶりに触れるその体は大きく、そして温かい。
ああ、ヨシュアさんの腕の中にいるんだ。
そう思うとたまらず、藍澄はヨシュアの胸に頭を摺り寄せた。
「好きです……ヨシュアさん、好き……」
「藍澄……」
疑うように顔を上げさせられ、不安に揺れるヨシュアの目と合う。胸が締め付けられ、藍澄は思わずヨシュアの唇に自らのそれを重ねた。
「ごめんなさい、私……っ」
藍澄は懺悔をするように、この2週間の自分の心情を全てぶちまけた。
その間ヨシュアは藍澄から離れず、狭いシートに二人折り重なるような姿勢で互いの体温を身近に感じていた。
「だから、その……ヨシュアさんが女の子に囲まれてるの見て悔しかったっていうか……。その、ヨシュアさんが遠くに感じちゃって……」
「で、ヤキモチ妬いて俺からのメールも無視してた、と?」
静かな声に、こくりと頷く。
ヒステリックな怒鳴り声を覚悟し目を瞑ったが、いつまでたってもそれは降ってこず、代わりに深い溜息が藍澄の耳をくすぐった。
「びっくりさせるな。嫌われたかと思って本気で悩んだだろ……」
「ヨシュアさん、怒らないんですか……?」
「あー……それは、俺も……うん、悪かった……」
「え?」
意外な言葉に、藍澄は無理やり体を起こす。まじまじと見つめるが、やはりそれはヨシュアの顔。
「何だよ」
「ヨシュアさんが謝るなんて……別の人かと思っちゃいました」
「藍澄……」
がっくりと肩を落とすヨシュアに、藍澄は慌てて体を起こした。
しかし言葉を紡ぐ前にその唇はヨシュアの唇に塞がれる。
啄ばむように何度も角度を変えて触れてくる唇に口元を綻ばせると、その隙を縫って柔らかな舌が入り込んできた。
深いキスを味わっていると、次第に体の力が抜け藍澄はシートに沈みこんでいく。
「藍澄……。このまま、いいか?」
「え……」
ヨシュアの切ない声に何も考えず思わず頷きそうになったが、その大きな手が胸を撫で上げたところで、藍澄ははっと我に返った。
「ダメ!」
慌ててヨシュアの手を掴み、キスを続けようとする顔を避ける。
その隙に見えた窓からの景色は、誰もいないと確信出来る室内ではなく、夜中とはいえ誰がいるかわからない公園の中。
もし万が一誰かに見られたらと思うと気が気ではない。
「……わかったよ」
重い溜息をついた後に、ヨシュアは体を離して藍澄のシートベルトを締め更に運転席へ戻り自分のシートベルトも締める。
今度こそ怒らせたかと藍澄が身構えると、ヨシュアはそのまま車を発進させた。
「ヨシュアさん……?」
「ここじゃダメなんだろ? 俺だってそのへんはわかってるよ。俺が、他の女に囲まれても怒鳴ったりしないのは、EUGのイメージが悪くならない為だ。ここでやっちまったらその苦労が報われないしな」
「ヨシュアさん……」
思いがけない言葉に藍澄は胸を詰まらせ、ヨシュアの腕に抱きついた。
「ちょ、おい、藍澄! 危ないだろ」
「だって、ヨシュアさん……!」
涙を浮かべる藍澄に、ヨシュアは苦笑いを返した。
「まぁ、外じゃなかったらいいんだからな。明日はオフだし、覚悟しとけよ」
「ヨシュアさん、何で私がオフだって知ってるんですか?」
不思議そうにそう問うと、ヨシュアはにやりと口の端を上げた。
「……父上も、たまには役にたってくれるということだ」
上からの命令の休暇の意味がようやくわかり、藍澄は思わず苦笑いをした。
休暇を快く許してくれた部下達にも悪いと思うが、どんどん息子にやられていく彼の父親にも心の底から謝りたい気分だった。
「とりあえず、ゆっくり二人で話もしよう。 まぁ俺も、藍澄が他の男に囲まれてるのを見た時は嫌だったしな。気持ちはわかる。だから、そんな事が気にならないように考えてはいるんだ」
「気にならないように?」
「それは、家に帰ってから話す。ゆっくり、な」
ゆっくりを強調するヨシュアに藍澄は顔を赤くした。
彼女が、ヨシュアの言う「そんな事が気にならないように考えている」が理解出来たのは、次の日の昼になってから。
ぐったりとベッドに沈みこみながら、それでも左手に光る約束の指輪を眺めてようやく微笑むことが出来たのだった。
モドル