夏の御伽噺

「御伽噺をしよう」

 そう言い出したのは、藤堂だった。
 
 蒸し暑い京の夜。虫の声も寝静まったというのに、一向に涼しくなる気配はない。
 流れる汗は不快極まりなく、風呂に入ったというのに少しもさっぱりした気がしなかった。
 暑い暑いと言いながら、風通しのよい縁側にはずらりと隊士が並んでいる。
 涼みに来たというのに、何人もの体温が近くなれば、風が吹いても何ら変わりはない。
 そんな時の、藤堂の提案だった。

「御伽噺ぃ?」

 永倉が片眉を器用に上げると、藤堂はにっと笑う。
 意味ありげに視線を流せば、そこには彼女の姿があった。
 新選組の紅一点。
 白い顔にうっすらと玉の汗を浮かばせた、桜庭鈴花の姿だった。
 それを認めると、永倉の顔にも笑みが浮かぶ。
 お世辞にも品が良いものではなく、明らかに何かを企んでいるといった表情だ。
 
 かくして、そこに居合わせた不幸で暇な隊士達によって、夏の御伽噺披露会が始まった。
 
 夏の御伽噺。
 別名、怪談。またの名を百物語という。



 

「……で、井戸から聞こえてくんだよ」

 ぼそぼそとした喋り口調で原田は話す。
 わざと低い声を出し怖くしているつもりなのだろうが、いつもの能天気なノリが見え隠れしているので、あまりそうは感じない。どちらかと言えば、稽古で怒鳴り散らしている時の方が余程怖い。
 それよりも夜とはいえ温度の下がらない夏に、一部屋に集まり襖を締め切って顔をつきあわせているのだから、暑くて仕方がなく、怪談よりもこちらの方が苦しくて仕方がない。
 鈴花はどうにか抜け出せないものかと溜息をついた。
 
「んだよ、桜庭。こっからがいい所なんだからちゃんと聞けよ」

 飽きてしまったのが面に出たのか、怪談を途中で止めた原田がこちらを睨んでいる。
 そんな彼の額にも汗がいくつも浮かび上がっていた。
 怖さを演出するために、蝋燭の近くで喋っているのだから当たり前だろう。

「聞いてますよ。と、いうよりその話知ってますし」
「な……っ!そんなわけねぇだろ!」
「……井戸から聞こえてきたのって、いちまーいにーまいってお皿を数える声でしょ」
「……!」

 有名な怪談のオチをさらっと言われ、原田は悔しそうに地団駄を踏んだ。
 おいおい、とあちらこちらで笑い声が漏れ、怪談らしく湿った生暖かい空気はそこで消え去ってしまった。
 これでようやく解放される。
 鈴花は新鮮な風を室内に入れるべく立ち上がった。

「ちぇ、左之さん下手くそすぎるよ」

 悔しそうに藤堂が呟く。その横で、永倉は大きく伸びをしてそのまま後ろへ寝転んだ。
 
「左之ぉ、おめー折角俺らが楽しい企画したのに、何でこう上手い事やれねぇんだよ」
「そうだよ。折角鈴花さんのかわいい叫び声を聞こうと思ったのにさ」

 文句を言う声は、鈴花の耳にも届いていた。
 道理で藤堂と永倉がにやにやと人の悪い笑顔を浮かべていたわけだ。
 鈴花は、部屋の襖を開けながら二人にわからないように、そっと肩をすくめた。

 幽霊を怖がっていたのなど、いつの話だろう。
 小さな子どもの頃は怖かったような気もするが、今では怪談ぐらいではどうということはない。
 ましてや、この新選組には幽霊よりも怖いものがたくさんある。――自分も含めて。
 
「そろそろおひらきにしませんか? いい加減にしないと明日の仕事に差し支えますよ」

 そもそも、この部屋は誰の部屋だと思っているのだ。
 部屋の主たる鈴花は、区切りのついた「夏の御伽噺大会」を終わらせるべく、居座っていた面々を追い払う。
 文句を言いつつも立ち上がる人間が多いのは、やはり原田の滑りすぎた怪談が原因だろう。
 こんな空気の中、次の話をするのは難しすぎる。
 
「あーあ、御伽噺なんて曖昧な言葉使って鈴花さんを油断させたのにな」
「まだ言うの、平助くん。怪談って言われても大丈夫だったってば。私はお化けよりも、明日起きられなくて土方さんに怒鳴られる方がよほど怖いよ」
「……それは確かにそうだよね……」
 
 くわばらくわばらと、おどけながら出て行く藤堂を見送り鈴花は襖を閉めた。
 人が減った部屋は、ようやく夜らしい涼しさを取り戻してきていた。
 
「さて、と。布団出そうかな」

 鈴花がくるりと方向を変えた、その瞬間。

「―――っ!?」

 背筋が、凍る。
 部屋には、誰もいないと思った。全員を追い出したと思った。
 だが、しかし。
 鈴花が振り向いた先には、まだ座り込んでいる人間の姿がある。
 夜の闇に溶け込んだその姿に、先程の話の一節が蘇ってきた。

――薄暗闇の中で、ぼーっと立っている青白い姿。それを見たら最期、あの世へ――

 鈴花の背筋に、冷たい汗が流れた。叫びたくても声は喉に張り付いて出てこない。
 急に身近に迫った恐怖。本当に怖い時は動けなくなるものなんだと、頭のどこかで考えた。
 その時。

 ゆらり。

 人影が動いた。
 
 鈴花の体が硬直する。



 が。



「……さい、とう……さん……?」



 立ち上がったその姿は、幽霊やお化けではなく見慣れた人のものだった。
 膝の力が抜け、鈴花はへなへなとその場に座り込む。
 幽霊なんて怖くない。そう思っていたのはついさっきのことなのに、実際似たようなことがあればやはり恐怖を感じるものなのだ、と鈴花は考えを改めた。
 実際の所はそれも本物などではなく、幽霊の正体見たり枯れ尾花なわけだったのだが――。

「斎藤さん、びっくりさせないで下さいよ! 皆帰ったものだとばかり思ってたのに」
「…………」
「どうしたんですか? 何か用だったんですか?」
「…………」
「…………?」

 何を言っても反応がない。
 目は少しずつ暗闇に慣れ、空気と同化していた斎藤の姿をくっきりと浮かび上がらせることが出来るのに、その気配だけが感じられない。
 再び背筋が寒くなるのを感じながら、鈴花は一歩を踏み出した。
 これが、他の人間ならば彼女とて近寄りはしなかっただろう。けれど、相手は斎藤。
 例え幽霊であっても、傍に行きたい。

 鈴花がそろそろと歩いても、斎藤は動かない。
 近づくにつれ、その表情も見えて来るが瞬き一つしていないようだ。
 鈴花は首を傾げながらも、そっと斎藤の頬に触った。
 そこで少し肩の力が抜ける。
 掌に感じるのは、確かな温かさ。
 間違いなく、生きている者の体温だった。

「……斎藤さん……?」

 再び、名前を呼ぶ。
 至近距離にある顔を覗きこめば、そのまま力強い腕に抱き寄せられた。
 ふわりと香るのは、汗ばんだ斎藤の匂い。
 確かにこの人は生きている。
 当たり前のことに、鈴花はほっと胸を撫で下ろした。

「……おまえは、生きているんだな……」

 心で思った同じような言葉が、耳のすぐ傍で聞こえた。
 ほっとしたような溜息と共に、抱きしめる腕に力が籠もる。
 
「斎藤さん、苦しい……」

 抗議するが斎藤の耳には届いていないらしく、鈴花の体はますます彼の体に押し付けられた。
 寸分の隙もなく触れ合った体から、微かな振動が伝わる。
 斎藤が震えていた。
 鈴花は驚いて、斎藤の肩口に押し付けられた顔を無理やり起こし、彼の顔を窺った。

「……もしかして、斎藤さん……怪談が怖かった……とか?」
「!」

 びくり、と斎藤の体が跳ね上がる。
 図星だ。
 途端に、鈴花の体から力が抜けた。
 まさか、斎藤が幽霊を怖がるとは思わなかった。意外過ぎる事実に、鈴花は驚きを隠せない。
 
「……女は……」

 ぼそりと呟かれた声が鈴花の耳をくすぐる。
 
「……女は、死した後も苦しむんだな……」
「……え……?」
「怪談は、女の話ばかりだ。男の身勝手さが、女を不幸にする。女は、死した後も苦しみ続ける……」
「……はい……?」

 かわいそうだ、と再度呟き。
 斎藤は、鈴花の肩口に顔を押し当てた。

「…………」

 震える大きな体を抱きしめ、硬い髪をそっと撫でる。
 そうしながら、鈴花は頭を整理する。
 怪談話が怖いのだとばかり思っていたのだが、どうやらそれは違ったらしい。
 ただ怖かったのではなく、話に出てくる幽霊達がかわいそうだったのだと結論づける。

「…………」

 鈴花は、大きな溜息をついた。
 何も怪談は、女に限ったものではない。だが、斎藤の頭に残ったのは、女性が幽霊になる話だけだったのだ。
 
「……斎藤さん、そんなこと言っていたら……」

 新選組の仕事なんてやってられないですよ。
 その言葉は、外には出ずに鈴花の口の中へ戻っていった。
 斎藤の口が鈴花のそれを塞ぎ、外へ出すのを押し留めたのだった。

「ん……っ!」

 抗議するように髪の毛を引っ張るが、それよりも強い力で抱きしめられる。
 押し付けられた唇は更に深く入り、鈴花の口をこじ開ける。
 ぬるりとした舌が入りこみ、咥内を蹂躙していくのを感じ、鈴花は更に抵抗した。
 
 なぜ、怪談をかわいそうだと言ったそのすぐ後にこんな展開になるのだろう。
 いつも通りの予測できない斎藤の行動に、鈴花はついて行くことが出来ない。
 そうしている間にも、くちづけは深くなり彼女の思考を溶かしていく。
 唾液を交換するように交じり合い、鈴花の抵抗が収まった時。
 ようやく、彼女の体は開放された。

「……っふ……」

 力の抜けた体を、斎藤は優しく抱きとめる。
 鈴花は、とろりと蕩けそうな目を何とか開き、彼の顔を窺う。
 暗闇でもはっきりとわかるぐらいの至近距離で、斎藤は優しく鈴花を見つめていた。

「……俺は、おまえをそんな不幸にはしない……」

 意思を込めてはっきりとそう言い、再び二人の影が重なった。
 起きている者の気配がない屯所内で、ただ斎藤と鈴花の息だけが熱くなっていく。


 怪談て、そういうもんじゃないと思う。


 鈴花がそう言えるようになるのは、夜明けの光りが差し込み斎藤が安心出来る刻限になってからだった。
 
 夏の御伽噺大会。
 それは、鈴花を怖がらせるためのもの。
 怪談自体はその目的を果たせなかったが、違う方向で達成出来たといえよう。
 
 朝。
 体の節々が痛んで起きられなかった鈴花。
 怪談よりも怖いと評した土方の怒りを、その身に食らうのだった。


















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