願うこと あるとも知らす 火取虫

 ぱちん。
 
 爆ぜる松明が、夜の闇を照らす。
 冷えた空気の温度を上げ、火の粉はきらきらと舞い上がっていく。
 黒の世界に浮かぶ、様々な色の赤。
 すべてを解かす闇夜に、まるで逆らっているかのような鮮やかな色彩。
 その中に。
 一片の雪が舞い落ちた。
 けれど、それは朱の中へ混じるまでに溶けてしまい、姿をなくす。
 決して交わることのない赤と白。
 その様はあまりに儚く。
 鈴花は、目を逸らす事が出来なかった。


 「願うこと あるとも知らす 火取虫」

 
 
 きらきらと光彩を撒き散らす火の粉を目で追っていると、自然とその句が流れ出る。 
 この季節にこの句を思い出すのは。
 今になって、本来の意味が分かってきているからなのかもしれない。
 鈴花は、舞い落ちる火の粉を見つめながらそう思った。


 「・・・何してる。火傷するぞ」

 呆れたような声が掛けられたのは、そんな時。
 言われてから、鈴花は自分が火の粉を被るほど、篝火近くに行っていたことを知った。
 後ろを振り向くと、待ちかねた姿。
 それを確認すると、鈴花の顔に安堵の笑みが広がる。
 
 「おかえりなさい」
 「ああ」

 土方は、火急の呼び出しを受け、夕刻から出掛けていた。
 雪が降り出したこともあり、今は戦況も落ち着いている。
 それでも、彼の忙しさは常に変わらない。
 今も。
 馬に乗っていったのだろう。乱れた髪をかきあげるその仕草に、疲れが見える。
 
 函館に来てからは、将としての役目が重く彼の肩に圧し掛かってきた。
 京にいる時には、近藤がしていた仕事を一手に担っていかなければならない。
 元来、表舞台に出る性質ではない土方に、それはかなりの負担となっているようだった。
 会議に出た後の顔には、戦を終えた後以上の疲労が隠しきれない。
 
 だからこそ、鈴花は土方が出掛けた後はじっと屯所内で待つことが出来なかった。
 何かがあるのを心配しているわけではない。
 勿論、土方が会議でヘマをするとも思えない。
 何も心配することはないと思ってはいても。
 それでも、心がざわつくのを抑えられない。
 今とて、じっとしていることが出来なくなって、外へ出て彼の帰宅を待ったのだった。
 
 篝火の向こうに見える顔。
 炎の赤に彩られ、まるで軍神のように神々しくさえ見える。
 その姿に、鈴花は双眸を細めた。
 
 「・・・中へ入るぞ」
 
 思わず見蕩れてしまった鈴花に、土方は気付かず。
 すっと近づき、声を掛けた。
 その彼女の肩には、うっすらと雪が積もっている。
 いつからここにいたのか。
 そんな問いを言いかけ、飲み込む。
 誤魔化すように。
 土方は、そっとその雪を払いのけた。
 剣を握っている時とは比べ物にならないぐらい優しい手つきになったのは。
 言うまでもない。





 「随分とぼんやりしていたな」
 
 自室へはいり、鈴花の煎れたお茶を啜りながら、土方は思い出したように言った。
 一瞬、何を言われたか分からず、きょとんとした鈴花だったが、土方の視線が外に向けられていることに気付き、同じように視線を向ける。
 宵闇の向こうが明るくなっているのは、先程の篝火によるものだった。
 それを見て、ようやく鈴花は理解する。
 
 「ああ、さっきの・・・。ふふ、焔を見てたんですよ」
 「焔?」
 「はい。雪が、火の中に落ちていってて・・・」
 「ほう」

 情景を思い浮かべたのか、土方の目がすっと細くなる。
 はらはらと降り落ちる雪。
 それが焔の中で音もなく溶ける様。
 それはきっと、彼好みの美しい情景だろう。
 和んだ表情が、心情を物語っているようだった。
 それをみると、鈴花の心も暖かくなる。

 「それで、思い出したんです」
 「何をだ?」


 「願うこと あるとも知らす 火取り虫」


 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 いたずらっぽく微笑む鈴花に、土方は柔らかな表情を崩した。
 思い切り、眉間に皺が寄る。

 「・・・それは夏の句だろう」
 「ふふふ」

 苦虫を潰したような顔に、思わず笑いが零れる。
 土方の不機嫌な表情を目の当たりにして、笑える日が来るとは。
 あの頃には想像出来なかった。









 ミーンミーンミーンミーン・・・。



 雪の降る外を見ながら、幻聴を聞く。
 
 セミの声。
 刺すような陽射し。
 熱気溢れる、屯所。
 
 ・・・仲間たちの、声。



 下手っくそだなぁ。

 
 
 発句帳を持ち出して、そう笑っていたのは沖田だったか。
 

 勝手に持ち出して・・・!!怒られますよ。まして、笑うなんて失礼じゃないですか・・・!!


 共犯にさせられるのが怖くて、鈴花は必死でそう言っていた。
 それなのに、沖田は笑って、次々と句を読み上げていく。
 こんな所を見られたらと、気が気ではない鈴花をすっかり無視して。
 なおかつ、その場から離れることを決して許してはくれなくて。
 
 そんな中。
 初めて、この句を聞いた。


 ああ、夏の句がありましたよ。ほら、見てください。



 願うこと あるとも知らす 火取り虫



 ああ、それって何か分かる気がしますよ。
 

 逃げたい気持ちも忘れて、思わずそう言ってしまった。
 他の句とは違い、その句は今の自分に合っていた気がしたのだ。
 そう伝えると、沖田は。
 


 そうですかぁ?



 と、からからと笑っていた。

 そう。合っていた気がしたのだ。
 新選組という火の中に、喜んで身を投じた自分。
 それが同じだと。
 
 その時は、そう思っていた。
 その句の意味をすっかり理解した気でいた。
 
 だが。

 本当に、気だけだった。

 

 あれから。

 
 あれから、色々な事があった。



 あの時、共に発句帳を開いた沖田はもういない。
 

 いや。

 沖田だけではなく。


 仲間も、次々と減っていき。
 心に負う傷はその分だけ増えていった。
 
 傷が増えれば増えるだけ。
 補うように、手を伸ばした。
 
 彼へ、と。

 
 



 幻聴が遠のく。
 目の前には、白く舞い落ちる雪。
 音もなく、ただ互いの息遣いが聞こえるだけの静かな部屋。
 
 「桜庭?」

 そっと呼ばれる声は、柔らかい響きを持っていて。
 鈴花の胸はふんわりと暖かくなる。
 
 

 もう、彼から離れることなんて。


 出来ない。



 「どうした、疲れたか?」
 
 優しい声音は、あの頃には感じ取ることが出来なかったもの。
 本当は、いつもあったはずなのに。
 あの頃の鈴花は、表面の「鬼の副長」に怯え、それを見逃してしまった。
 
 苛烈な焔は、それでも優しく彼女を暖める。

 もう。

 もう、彼から離れることなんて、出来やしないのだ。


 
 「いえ、大丈夫ですよ」

 訝しげに見つめる土方にそう答え、鈴花はその背にもたれかかった。
 あの頃、あんなに遠かった背中が、今はこんなに近い。
 
 甘えるようなその仕草に、土方の表情も緩む。
 そして、土方はその身をひいた。


 ぽすん。


 彼の胸の中に、鈴花が倒れこむ。 
 それを優しく抱きとめると。
 その場の空気ですら、柔らかなものに変わっていく。
 
 鈴花は、土方の洋服に顔を埋めた。
 暖かな体温と、彼の香り。
 少し埃っぽい中に、甘い匂いが混じっている。
 
 そんな鈴花を、土方は優しく抱きしめた。
 壊れ物を扱うかのように。
 そっと髪の毛を撫でれば、腕の中の鈴花が小さく笑う。
 つられて、土方の顔にも笑顔が滲んだ。






 かけがえのない時間。
 暖かで、柔らかな。
 
 


 
 
 鈴花は、土方の胸にもたれたまま、そっと顔を巡らせた。
 部屋の窓から、遠くの明かりがぼんやりと見える。
 それに目が引き寄せられた。
 



 焔は、土方そのもの。



 強くて、明るい。
 そして、時として優しく暖めてくれる。

 

 鈴花は、そんな土方に惹かれてやまない。


 苛烈な焔から、目が離せない。


 


 土方が焔ならば。
 鈴花は、小さな羽虫。


 焔に恋をし。



 自ら、その中に飛び込んでいく。
 


 人から見れば、滑稽なことかもしれない。
 ましてや、女の身で戦いに身を投じるなど。

 しかし。


 彼女は、この焔から出ることは叶わない。
 出ようとも。
 思わない。




 例え、この身が焼き尽くされようとも。












 

           願うこと あるとも知らす 火取り虫










         今になって、その句の意味が、身をもってわかってきた。















          終焉は。

    



                もう、すぐそこまで来ている。