scar

  俺のいない間についてしまった、彼女の傷跡。
 そんなどうしようもないものまでにも嫉妬してしまう俺は、やっぱりどうかしてるんだろうか。

「……これ、どうしたのさ」

 甘味所で汁粉を頼んでいたその時、平助の目が鈴花の腕に止まった。
 そこには、切り傷とは違う、打撲の跡。
 青紫に変色した肌が、痛々しい。
 鈴花は片手でその跡を隠し、苦笑した。
 新選組にいれば傷など耐えない。そんなことなど百も承知だったのだが、やはり女性の肌に傷が付いていれば嫌でも気になってしまう。
 平助が、御陵衛士として離脱してから、ちょうど一月。
 堂々と逢瀬を楽しむわけにも行かず、こうして遠くの甘味所でこそこそと逢っている。
 それとて、次はいつ逢えるかなどわかったものではない。
 確たる約束も出来ず、二人は恋仲だと吹聴することも出来ず、鈴花を新選組へ帰す。
 あの、飢えた狼の巣窟へ。
 鈴花に手を出す事は、すでに見えない法度となっている。しかし、そんな事は関係ない輩も多く、更に彼女と懇意にする隊士の仲にも、彼女を憎からず思っている男が数人いることは、平助も知っていた。
 ただでさえ我慢出来ない状況下にあるというのに、自分の知らないところで彼女が傷を負う事を考えれば、平助の眉間にも土方並の皺が寄る。
 
「……やっぱり、嫌だな」
「……もう、平助くん」
 
 平助のその台詞は、もう何度聞いたかわからない。
 御陵衛士と新選組。進む道を違えた時から、自分達の見えない生活が互いに出来るという事はわかっていたはずなのに。
 鈴花は溜息をつき、とたんにその場の空気が重くなる。
 その後は、運ばれてきた汁粉を二人無言で攻略していくしかなかった。
 いつもならおいしいねと笑いあうというのに、この日ばかりは重苦しい空気が二人の上に圧し掛かっていた。
 もくもくと汁粉を食べ、それがもうあと少しになった頃、もう一度平助鈴花の腕を見た。

「……本当に、どうしたのさ、それ」
「……木刀が当たっただけよ?」
「木刀? 稽古で?」
「うん。永倉さんに稽古つけてもらってて……」
「……ふーん……」
 
 その答えに平助の目が不機嫌に細まり、そのまま残りの汁粉を無言でかきこんで、立ち上がった。
 その瞬間、鈴花が思わず息を飲んだ。
 機嫌が悪くなった平助が、そのまま帰ってしまうのではないかと思ったのだ。
 しかし――。
 
「行くよ、鈴花さん」
「え? ど、どこに?」
「稽古なんて、俺がつけてあげるよ」
「……は?」




 がたがた……がたがた……。
 立て付けの悪い扉を力まかせにあけると、中から埃っぽい空気が襲い掛かってくる。
 それにむせながらも、目をこらすと、そこは馴染みの深い雰囲気に包まれていた。

「……道場……?」

 傾いた神棚、破れた掛け軸。壁板も所々飛び出ていて、かなり荒れ果てた様子で床板が抜けていないのが、せめてもの救いかもしれない。
 平助はそのまま中へ入当たり前のように木刀を物色し始めた。

「ちょ、平助くん、勝手に入っていいの!?」
「うん。ここ、ずいぶん前に道場破りにあって、閉じちゃった道場らしいんだ。今は誰も使ってないらしいから、俺が時々一人で稽古してる」
「……そうなんだ……」
 
 そう言っている間に、使う木刀が決まったらしく渡される。
 恐らく、平助が持ちこんだのであろうそれは、道場とは違い荒れた様子はない。
 どれぐらいの期間、一人で稽古していたのか、他にもそういった品がちらほら置いてある。
 自分の知らない平助を見たことに、鈴花は小さな喜びを感じていた。
 

「じゃあ、しようか」

 その声にはっとし、鈴花は顔を上げた。
 見れば、平助はすでに青眼の構えをしている。
 
「ほ、本気で稽古するの?」
「遊びで稽古する気だったの?」
「そ、そうじゃなくて……!」
 
 せっかく久しぶりに会えたのに、なぜ稽古をするのか。
 一緒に行きたい場所、話したいこと、鈴花はたくさん考えてきたというのに。
 だが、目の前の平助は真剣な面持ちで、そんなことを言い出せる雰囲気ではなく、鈴花は仕方なく木刀を構えた
 平助と稽古をするのが、ひどく久しぶりだということに気付いた。

「はぁっ!」
「……!」
 
 考えているうちに、平助に打ち込まれる。
 とっさに受け止めた鈴花だったが、やはり無理がありかなりの衝撃が腕に伝わった。
 体勢を整えようと試みるが、すぐさま打ち込まれてしまう。
 防ぐだけで精一杯。間合いを取ろうと下がるが、平助はなおも打ち込んで来、かなり苦しい劣勢だった。
 だが。

「……何で、こんな強くなってんの……!」
「え?」

 悔しそうな平助の顔が、間近にある。
 呟かれた台詞を理解しようと考えているうちに――。
 「……あ……っ!」
 
 眼前に、木刀が振り下ろされた。
 とっさに目をつぶった鈴花だったが、来るはずの衝撃は来ない。
 そっと目を開けると、すんでのところで止まっている切っ先が目に入った。

 「……一本、だね……」
 「……参りました……」
 
 負けたことに多少の悔しさはあるが、鈴花は内心ほっとしていた。
 これで、稽古は終わりだと思ったのだ。
 しかし、平助は切っ先を下ろすと、数歩下がりまた木刀を構える。
 
「え……? ま、まだするの……?」
「するよ。ほら、構えて」
 
 硬い表情で言われ、鈴花はゆるゆると腕を持ち上げた。
 気が乗らない。けれど目の前の平助には、きっと何を言っても無駄だろう。
 そう思うと、切なかった。

「……行くよ!」
「……っ!」
 
 掛け声とともに、今度は上段に振りかぶった平助が打ち込んでくる。
 それを何とかかわし、体勢を整えるが、鈴花はどうしても攻撃にうつることが出来ない。
 激しい木刀のぶつかり合う音と、平助の気合の声。鈴花は、歯を食いしばって耐えるばかりだった。

「……打ってきなよ、鈴花さん!」
「でも……!」
「永倉さんとは出来て、俺とは出来ないの?」
「え?」
 
 意外な言葉が平助の口から漏れる。
 それに、鈴花が反応を返したその時、彼女の木刀が弾き飛ばされた。 
 
「痛……っ」
 
 衝撃で、鈴花の腕が痺れたような痛みに襲われる。
 痛みで腕は上がらず、鈴花は再度の負けを覚悟したが――。

「ごめん……」
 
 苦しげな言葉と共に、抱きしめられた。
 ふわり、と懐かしい匂いが鈴花を包んだ。

「平助君?」

 痛みも忘れて、その背に腕を回す。
 そっと抱き返せば、微かに平助が震えているのがわかる。
 
「ごめん、わかってるんだ。俺が新選組を離れるって決めた時から、こんなことはわかってたんだ。でも……」
 
 一旦言葉を切り、平助は鈴花の肩口に顔を伏せた。
 
「でも、やっぱり……鈴花さんが他の男と稽古をしてたって聞くと……つらい。俺のいない所で怪我したって聞くとなおさら」
「え?」
「あんたに頼られる男は、俺だけが良かったんだよ」
「平助くん……」

 思ってもみなかった告白だった。。
 そこで初めて、平助の不機嫌の理由と本日の不可解で不本意なっ行動の数々が、理解出来た。
 そんなことまで嫉妬されていたとは。驚きとともに、嬉しさがじわじわと滲んでくる。
 鈴花は、平助の背に回した手に力を込めた。
 それを合図に、二人の唇が重なる。まるで神聖な儀式であるかのように、そっと。
 柔らかな弾力を残して唇を離すと、二人の視線が交差する。
 そこで、我に返ったかのように互いから初めて笑みがもれた。
 
「ごめん、鈴花さん」
「うん」
 
 くすくす笑い合い、ようやくいつもの調子に戻った事を自覚する。
 心地よい空気が、二人の間に流れた。
 引き寄せられるように、再び唇が重なる。
 最初は軽く、啄ばむように、何度も。
 そして、平助は鈴花の腕を取り、そのまま青あざに口付ける。
 まるで、そこが癒えるよう願うかのように。
 唇を離し、そこを見つめる。
 もちろん、実際は癒えてなどいないのだが、それでもそうせずにはいられなかった。

「……これから、こんなことがいくつもあるんだろうね」
「平助君」
「わかってるよ。これが、俺達の選んだ道だ。でも……」
「でも……?」
 
 その後の言葉を平助は飲み込み小さく、笑う。
 だが、その笑みはまるで泣き笑いのような表情で、鈴花の胸をしめつけた。
 互いの気持ちは今でも重なり合える。
 だが、二人の道は、もう別れてしまっていた。

「叶うことなら、争いのない世を作りたい。あんたが、傷を作らなくても良い世を」
「平助君……」
「その時は、俺の傍に、いてくれるかい?」

 まるで夢物語のような未来の話に、鈴花は思わず目を閉じた。
 油小路で起こる悲劇まで、あと少しの事だった。
 





 





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