衝動






スキンシップ禁止令。
 それが出された時、初めて美奈子はやりすぎたと後悔をした。
 恐る恐る目の前を見れば、普通の人なら逃げ出しかねないぐらい厳しい顔をした琥一の顔があった。

「……コウちゃん……」

 甘えるように名前を呼ぶが、琥一は眉間に皺を寄せたまま腕組みをして首を振る。
 根っからの兄体質な彼は、こうして甘えれば大概は大目に見てくれるというのに、今回ばかりはそうはいかないようだった。

「そんな声出しても駄目だ。撤回はしねぇ」
「だって……」
「だってもクソもねぇ」

 がんとして譲らない琥一に、美奈子は小さな溜息をついた。
 頑固オヤジ、と口の中で小さく呟くと、運悪くその声は彼に届いたらしく、険しい顔が更に険しくなっていった。

「誰が……! だいたいなぁ、おまえは手ぇ出してよくて俺が駄目とかわけわかんねぇこと言ってるからだろ。フェアじゃねんだよ」
「……だって」
「るっせ。聞かねぇよ。俺が手ぇ出していいんなら、撤回してやるけどなよ」
「……オニ」
「言ってろ」

 にやりと笑う琥一に、美奈子はべーっと舌を出した。
 そして、それから美奈子にとって非常にツライ日々が待ち構えていた。
 スキンシップは、琥一と再会してからし続けてきた事だった。
 今でこそこうして普通に会話出来ているが、再会した当初はひどくそっけない態度を取られ、本当にあの幼なじみの彼なのかと疑った事も一度や二度ではない。そんな彼にも負けず、美奈子はひたすらスキンシップを繰り返してきた。それはただ単に触りたかったわけではなく、肌を通せば琥一の怖い仮面に隠された優しさに触れられるのではないか、と思っての事にほかならない。
 スキンシップをひたすら続けてきた結果、今や美奈子は琥一に「俺の女」とまで言われているのだから、その直感に近い考えは間違っていなかったという事になる。
 それなのに。
 
 この日も、美奈子はすぐ傍にある琥一の腕につかまりたい衝動を必死にこらえていた。
 今日のデートは、遊園地。
 時間も夕方を過ぎ、周りにいる人間は家族連れからカップルに変わってきていた。
 誰も彼も腕を組み、いちゃいちゃと楽しそうに笑いあっている。

「いいなぁ……」
「あぁ?」
「……何でもない」

 小さな呟きは琥一には届かず、美奈子は盛大に溜息を付いた。
 デートが楽しくないわけではない。
 ただ琥一との距離がいつもよりあいているように思えて、切なかった。

「……おい、美奈子?」

 黙ってしまった彼女に、琥一が心配そうに顔を覗き込んだ。
 その胸に飛びつきたくて、美奈子は思わず掌を固く握り締めた。

「もう、帰る……」

 そう言うのが、精一杯だった。
 このままここにいれば、泣き出してしまいそうになる。

 そのまま、送ると言ってくれた琥一を断り美奈子は何とか自分の家へとたどり着いた。
 バスの中でも涙が零れ落ちそうになるのを必死でこらえていたので、自室に着いてからは堰を切ったように涙が溢れ出す。
 身を投げ出すようにベッドへ寝転べば、柔らかなシーツが目から零れる水分を吸い込んでいってくれた。
 
「触れないのがこんなにツライなんて思わなかった」

 ぽつりと零れた言葉に、思わず顔をしかめる。
 「触れないのがツライ」などといえば、まるで自分が痴女のようではないか。
 決して、性的な意味で触れたかったわけではないというのに。
 そこまで考え、美奈子ははっと顔を上げた。
 脳裏に蘇るのは、琥一の声。

「俺も手ぇ出していいんなら、撤回してやるけどな」

 あの時の琥一は、一体どういう気持ちであの言葉を出したのだろうか。
 美奈子とて、触れられたくないわけではない。あの逞しい腕に抱かれればどうなるだろうと想像したこともある。
 けれど、それらを上回るのは恥ずかしいという気持ちだった。
 あの大人っぽい琥一が、果たして自分を抱きしめて気持ちが良いと思ってくれるだろうか――心の片隅にいつもそんな疑問が残っていたのだ。
 
「コウちゃん……」

 涙に濡れた声は、いつもよりかすれていた。
 美奈子はドアの前に放られた鞄を手に取り、中から携帯電話を取り出す。
 リダイヤルを押しても着信履歴を押しても、一番最初に出るのは琥一の名前。
 それを切なく見つめながら、震える手でボタンを押した。

「……美奈子?」
「……っ」

 2コールで聞こえた琥一の声に、思わず胸が高鳴った。
 言いたいことはたくさんある。まずは謝らなければとも思う。
 けれど――。

「好き……」

 美奈子の口から零れたのは、そんな言葉だった。

「おま……っ」

 電話の向こうで、琥一が息を飲むのが伝わる。きっと、顔を赤くしているに違いない。
 その様子がいとも簡単に想像出来て、涙を伝う頬を緩めた。

「コウちゃん、大好き。コウちゃんに触れたいよ……」
「……美奈子……。それ、おれもおまえに触っていいってことか?」

 優しい琥一の声が幾分低くなり、真剣さを帯びる。
 以前は感じた恐怖は今はなく、焦げる様な痛みが美奈子の胸に広がった。

「うん、触って……ほしい」
「どういう意味で言ってんのかわかってんのか?」
「……わかんない」
「! お、まえなぁ……っ!」

 怒ろうとした琥一の声が、途端に溜息に変わる。
 こういうところがお兄ちゃん気質なんだろうなと、美奈子は小さく笑った。

「わかんないけど……コウちゃん、私でがっかりしない?」
「は?」
「がっかりしないって約束してくれるんだったら、もっとちゃんと考える」
「……がっかりなんて、するかよ」

 拗ねたような声に、塞いでいた気分に風が通った。
 美奈子は、携帯に耳を更に押し付ける。今は琥一の言葉の一つ一つを逃したくはない。

「……明日、そっちに行くね?」
「おう」

 低い声が心なしか嬉しそうに聞こえ、美奈子は目を閉じて通話ボタンを切った。

 ――どういう意味で言ってんのかわかってんのか?――

「わかってる、よ」

 美奈子はもう聞こえない携帯にそっと囁いた。
 ちゃんと考えることは、もうずっと前からしていたのだから。
 全ては、明日。
 あの逞しい、牛肉で出来てると自慢する腕に触れることを考えながら、美奈子は目を閉じるのだった。
 













続きは大人部屋行きになる予定です。


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