雪合戦
〜思い出は、溶けない〜

 雪合戦
〜思い出は、溶けない〜



「うわぁ、積もったなぁ」

 その日鈴花が目を覚ますと、まるで、綿を被せたように屯所の庭は真っ白に染まっていた。
 陽を受けてきらきらと光る氷の粒は、まぶしくも美しいものだった。
 見慣れた庭なのにそれは一幅の絵のようで、鈴花は思わず目を細めた。
 が、しかし。

 べちゃ。

「…………………………………………」
「あははははは。油断大敵ですよー桜庭さん」
 
 突然顔面に受けた鈍い痛みで、そんな爽やかな気分は一気に吹き飛んでしまった。
 痛いなどと生ぬるいものではない。
 普通の石を投げられた時よりも、その衝撃は強かった。
 冷たい上に、固い。
 投げられたのは、ぎゅうぎゅうに固められた雪玉だった。

「……何のつもりですか、沖田さん」

 溢れ出しそうな怒気を抑えて、そう問う。
 視線を巡らせば、松の木陰からひょいと沖田が顔を出すところだった。
 その両手には、やはり雪玉。

「雪合戦ですよ」
 
 知らないんですか?
 言外にそう言われ、鈴花の頭にどんどんと血が上る。

「雪合戦は知っています。私が聞きたいのは、なぜ雪合戦に参加してない私が雪玉をあてられるのか、ということです」

 冷静になろう、冷静に。
 心の中でそう唱えながら言葉を紡ぐ。
 相手は、沖田。ここで怒りに任せてしまっては、まさに思うツボだ。冷静に、大人の対応を心掛けなければ。

「……だいたい、そんな子どもみたいな」
 
 べしゃ。

余裕の笑いを織り混ぜた彼女の声は、最後まで続くことはなかった。
 ――雪玉第二弾に阻まれて。

「……………………」
 
 黙っている鈴花に、空気を裂いてまた何かが飛んできたが、予想がついていたので雪玉第三弾は何とか交わす事が出来た。
 しかし、彼女の中の「大人の対応の心掛け」は音を立てて崩れ落ちていった。

「痛いじゃないですかぁっ!」
 
 ぶん!

 足元の雪を瞬時に片手で握り、投げつける。
 沖田は、それを交わさずに掌で受け止めた。柔らかな雪は、その中で難なく形を崩していく。
 
「あはははは! 駄目ですね、こんな柔らかい雪じゃ」

 余裕溢れるその言葉に、鈴花の顔が真剣になる。
 剣術ならまだしも、鬼ごっこに引き続きこんな遊びで負けてなるものか。
 大人の対応の心掛けの下に潜んでいた、子どもの意地が噴出していく。


「これならどうですか!」
「おっと! ふふ、さっきよりはいいですね。でも当たらなければどうということはありませんよ」
「く……!」

 鈴花は、沖田の手から繰り出される高速の雪玉を必死で避けながら、雪を拾い固めていった。
 だが、間に合わない。下に気を取られた瞬間に、鈴花の腕に雪玉が当たる。
 いつの間にこんな固く握っていたのだろうか、さすが、天才剣士。
 しかしこんな所にそんな実力を発揮しなくても、と鈴花は思う。
 どうするべきか――とりあえず、灯篭に身を潜め、後ろを見た。
 松の木の傍には、見慣れた着物。
 沖田も投げるのをやめ、機会を窺っているようだ。
 この間に、何とか雪玉を作っておかなくてはならない。
 視線を沖田に合わせたまま、鈴花は雪をかき集め始めた。
 その時、すっと何かが彼女の手に渡された。
 思わず目をやるとそこには、完成された雪玉。
 しかも、かちこちに固められ、当たればかなり痛そうなものだった。
 

「加勢する」
「……っ!」

 叫びださなかったのは奇跡に近い。
 まったく気配を感じさせず彼女に雪玉を握らせた人物は、大量の雪玉を用意していつのまにか彼女の陣地に佇んでいた。
 
「さ、斎藤さん……?」
「お前があまりにも劣勢すぎる。俺が加勢しよう」
「え、そんな、雪合戦如きで」
「戦は戦だ」
「……」

 あくまでも真面目な斎藤の言葉に、鈴花は二の句が告げなかった。
 そのうちに、彼の目が鋭くなり。

 ばしっ。

 再び、沖田の強力な雪玉が鈴花を襲ってきた。
 今の玉は、斎藤によって交されたが、すぐに次の玉が来るのは明白。
 鈴花は、躊躇することをやめ、臨戦態勢に入った。
 しかし、気になるものは気になるのである。

「斎藤さん、相手は一人なのに卑怯ですよ」
「卑怯でもなんでもいい。生き抜いた方が勝ちだ」
「またそんな大袈裟な……」

 べしゃ。

 今度の玉は、見事鈴花の後頭部に命中した。
 鈍い痛みが彼女を襲うが、痛みに呻いている場合ではない。

「……わかりました。斎藤さん、宜しくお願いします」

 怒りの滲んだ鈴花の言葉に、斎藤は珍しく破顔した。
 そして鈴花の目には映らないほどの速さで、斎藤の手から雪玉が繰り出される。
 不意をつかれ、さしもの沖田も慌てたのか、すぐさま松の陰に身を潜める姿が見えた。
 当たらなかったのは、さすがと言うべきか。

「……ふふ、やりますねぇ。さすが斎藤さん……」

 松の向こうから、沖田の楽しそうな声。
 だが、その声音は、明らかに先程のものとは違ってきている。
 ……まるで彼が斬り合いを楽しむ時のような。
 それを悟ると、鈴花の背がすっと凍った。
 さすがに命までは取られないにしても、これは非常に危険な状況だった。

「大丈夫だ。俺を信じろ」

 横を見れば、斎藤の目も真剣なものになっている。
 黒曜石のような瞳は、雪を照らす光できらきらと輝いていた。
 
「はぁぁぁぁぁぁ!」
「何の!」
「きゃあっ!」
「逃げるなんて士道不覚悟ですよ!」
「甘い!」

 多数の雪玉が庭を行き交う。
 さしもの沖田も、二対一――しかも、そのうちの一人は斎藤では劣勢は免れず、軽口とは裏腹にその雪玉は少しずつ柔らかいものへと変化していっていた。
 硬く握っている余裕は、すでに失われているのだ。

「桜庭、今が狙い目だ」

 斎藤が、にやりと笑う。
 その時。

「ちょーっと待ったぁ!」

 大きな掛け声と共に、雪の庭に人影が下りてきた。

「二対一なんて、いくらなんでも総司さんだってかわいそうじゃん!」
「へ、平助くん……?」
「総司さん陣営、藤堂平助、助太刀いたす!」

 高らかな宣言と共に、雪玉が繰り出された。
 しかし、それは鈴花たちの頭上を遥かに越え、松の枝へ消えていった。
 どこを狙ってるのと、鈴花が笑いを浮かべようとしたその時。

 「……っ!」

 枝に溜まっていた雪が、彼女達の上へと落ちてきた。
 雪玉に比べれば柔らかいが、これだけの量だとかなりの痛手。
 しかも不意うちとなれば、尚更だった。

「へへーんだ。ただ雪を投げるだけが能じゃないんだよー!頭はしっかり使わないとね」

 はしゃいだ藤堂の声が、雪の向こうから聞こえてくる。
 同じように、やるじゃないですかとの嬉しそうな声。
 その声が大きくなるにつれ、鈴花は隣の殺気が同じように膨れ上がっていくのを感じた。

「覚悟!」

 叫び声と共に、斎藤の豪腕から雪玉が投げられた。
 それは、先程と同じく真っ直ぐに、藤堂・沖田を狙う。
 しかし、この玉は今までとは桁外れの速さだった。
 辛くも、直撃は免れた二人だったが、その重い玉は、二人の後ろの塀に激突した。
 雪が当たったぐらいでは出ないであろう音が、辺りに響き渡る。
 
「び……っくりしたぁ!」
「今のはすごい玉でしたねぇ。でも、斎藤さんどこ狙ってるんです……か……」

 余裕の沖田の後ろで、不意に鈍い音がし始めた。
 それは止むことなく、それどころか石の滑る音が合わさりひどく不快な音までしてくる。
 顔を凍らせた二人が後ろを振り向くと――。

「うわぁぁぁぁぁぁ!」

 彼らの後ろの塀が崩れてくる所だった。

「ちょ、ハジメさんいくらなんでもやりすぎだよ! 俺達を殺す気?」
「先に仕掛けたのはそっちの方だ」
「……ふふふ、いいですよ、そうこなくっちゃ」
「ええ! ちょ、さすがにそれは……壁、壁!」

 不穏な空気の下で、再び戦闘開始。
 沖田の鋭い玉が鈴花に直撃すれば、お返しとばかりに斎藤の剛球が藤堂を襲う。
 頭脳戦だとばかりに、藤堂も木の上の雪を落としたり灯篭目掛けて投げてくる。
 そんな人並み外れた雪合戦に、鈴花がついていけるはずもなく。ただひたすら必死で、雪玉を固めていた。
 明らかな、桜庭陣営の劣勢であった。

「鈴花さん、そろそろ降参したら?」
「駄目ですよ最後まで遊ばなきゃ。ねぇ?」
「……立っているうちはまだ負けない……」
「……ええと、あの……」

 双方、雪玉が切れるタイミングは同じ。
 切れれば、睨みあいとなる。
 
「おめぇら、もうちっと頭使えよ」

 更に第三者の声が聞こえたのは、そんな睨みあいの最中だった。
 壊れた壁から現れたのは、永倉。そして、その後ろからは原田の姿。

「よーし、桜庭!ここはいっちょ俺様が加勢してやるぜ!」
「え、いえ、別に私……」
 
 寒いのに腕まくりをし、永倉と原田が鈴花陣営に入ってくる。
 
「俺もやるぜー!」
「左之、おめぇはアッチだ」
「何でだよ! 勝ってる方行ったって面白くねーじゃねーかよ!」
 
 しっしっと手で追い払われ、原田が眉を顰める。
 確かに、鈴花の方に永倉が来るのであれば、人数的に合わないのは合わないのだが、永倉の思惑は、また別の所にあったようだ。

「こっちに馬鹿ばっか集まってどーすんだよ! あっちだって一人ぐれぇ馬鹿入れねぇと採算合わねぇじゃねぇか」
「それもそうだな。……っだとぉぉぉぉ! 新八ぃぃぃぃぃぃ!」

 そんなこんなで、戦闘開始。
 
「ハジメ、投げろ!」
 
 永倉の声で、斎藤の剛速球が投げられる。
 それは藤堂の顔の真正面だったが、彼はそれを横に避けるが。
 
「痛ぇぇぇぇ!」

 避けたところに、永倉の放った玉が見事命中した。

「ほら、頭使うってのはこうやんだよ。いくぞ、ハジメ!」
 
 斎藤・永倉の連携プレーは、光るものを見せ藤堂・原田を翻弄する。
 しかし、天才・沖田の玉が二人の動きを阻むように投げられて場を崩し、それを見計らって藤堂の玉が飛んでくる。
 原田はただ闇雲に投げているようだがその威力は凄まじく、松の枝を折り灯篭を次々と破壊していった。

「面白そうだねぇ、ワシも混ぜてもらおうかな」
「おお? しょうえいことしちゅうねぇ」
「うーわ、ひっどい。なにこれぇ。……って、左之ちゃん、アタシに当てていいと思ってんの!」
「え、ちょっと、皆これは……さすがに……歳三くんが、うわ!」
「源さん、今のは何の声だい。……こ、これは……」
「……あっはー、何事これぇ。ひどいねー」

 その後も、様々な隊士が加わり、屯所の庭はさながら戦場のような惨状だった。
 地面に残る雪も僅かばかりになり、投げる雪も泥にまみれていたが、双方引くに引けない状況になってしまっていた。
 それを終わらせることが出来るのはただ一人。

「やかましい!」

 大きな怒声が響き、それに驚いたであろう誰かの雪玉がそちらの方へと飛んでいく。
 白い塊は真っ直ぐ軌跡を残し、そのまま第三者の顔へと派手な音を立ててぶつかった。

「あ」
「あ……?」
「……!」

 襖を開けて出てきたのは、土方。
 泥まみれの雪――いや、雪が少しついた程度の泥玉は、綺麗に彼の中央へと当たったのだった。

「……全員、上がってこい」

 静かな口調なのが彼の怒りを顕著に現していた。
 雪を払った後の端正な顔には、腫れそうな予感がするぐらい赤くなった跡と、泥の粒。
 それを見た瞬間、誰が口にしなくとも終戦協定が各々の胸の中で結ばれたことは言うまでもない。
 調印は、土方の部屋でのたっぷりねちねちとした、お説教。




「あー……疲れた」

 その夜、寝付けずに鈴花は襖を開けた。
 雪はやみ、きらきらと輝く星空が広がっている。
 ふと視線を下げると、風流とはかけ離れた庭の惨状が目に入った。
 松は枝という枝がぱっきりと折られ、灯篭は頭を垂れるぐらい傾いている。
 さすがに壊れた壁は急ぎ修復はしたが、継ぎ接ぎだらけなのが痛ましい。
 そして、地面はめくれ雪という雪はあらかた姿を消していた。

「ちょっと……ひどい、かな」
「ちょっとではないだろうねぇ」
 
 鈴花の一人ごとに、もう一人の声が重なった。
 振り向くと、そこにはやはり疲れた顔の山南の姿。
 同じように土方のお説教を聞かされた後、修復作業を取り仕切ったのは彼だった。
 望んでないとはいえ、首謀者の鈴花は申し訳ない思いでいっぱいだ。
 
「山南さん、色々すいませんでした」
「その言葉は、明日にでも土方くん本人に言った方がいいね」
「……え?」 
「彼、口には出さなかったけど、この雪景色を楽しみにしていたんだよ」
「土方さん、が?」

 信じられない、と鈴花は目を見張った。
 あの鬼の副長が、雪景色を。

「土方くん、ああ見えて風流人なんだよ?」
 
 いたずらっぽく笑い、山南は鈴花の頭に手を置いた。
 ぽんぽんと、あやすように撫でられる。
 
「ちゃんと、謝るんだよ?」
「……はい……」




 その時の鈴花は、土方の趣味を知らなかった。
 発句の為に、雪景色を楽しみにしていたことなど、想像もつかなかった。
 知っていたところで、こうなる前に止められたかどうかはわからないが。
 それでも、雪が降ると思うのだ。ああ、きっと土方さんが喜ぶ、と。
 そして、あの日の事を思い出す。
 子どもに戻ったようにはしゃぎ、たかが遊びにあんなに熱中して、最後は全員並んで怒られた。
 思い出すと、胸の中が暖かくなる。
 今では、あの頃共に過ごした仲間はもう傍にはいない。
 けれど記憶の中では、あの日の仲間の笑顔が輝いていた。
 痛かった雪玉、高らかな笑い声それに冷たかった雪の感触。
 雪はいつか溶けるけれど、この思い出は溶けない。

「桜庭?」 
「あ、いいえ、何でもないですよ。土方さん、見てください。雪が降ってきました」
「本当だな。やはり箱館は雪が早い」
「積もりますか?」
「さぁ、な」
「積もって、欲しいな……」



 ――思い出は、決して溶けはしない。











 
 
 
書庫へ