sugary
うだるような暑さ。
夏の京は、悪意を持っているかのような熱気で、住民を苦しめる。
京で生まれ、京で育った人間ですら、暑さにやられてしまうのが夏も盛りのこの時期。
ましてや、京に来て数年の鈴花が、耐えられるわけがなかった。
「あっつーい!!」
思い切り叫んで、鈴花は縁側に転がった。
いつもは冷たいはずの床板は生温くなっていて、更にじんわりと湿っている。
加えて、陽の光は強烈なのに風はそよとも吹いてこない。
いい加減、おかしくなりそうで鈴花はじたばたと手足を動かした。
叫んだり動いたりしなければ、気が狂ってしまいそうなのだ。
「暑いよぉ……」
「るっせーな。年頃の娘がそんなところ転がるんじゃねぇ!」
「いったー!!」
げし。
後ろから後頭部を蹴られ、鈴花は起き上がった。
振り向けば、同じように汗を流して不機嫌な顔をした原田の顔がある。
手には団扇が握られているが、役に立っていないのは目に見えて明らかだ。
「蹴ることないじゃないですかー」
「おまえがだらしないから、余計に暑くなんだよ。しゃきっとしやがれ」
「何ですか、その勝手な言い分!」
ぷぅっと頬を膨らませると、今度はその頬をつねられる。
負けじと鈴花も両手で原田の頬をつねり返した。
そうなれば、原田も黙ってはいない。
持っていた団扇を投げ出し、もう片方もつねる。
かなり、痛い。
常から、彼女を女扱いしていないが、今日は暑さも相まって容赦のなさは加速していった。
負けてなるものか。
鈴花も、唇をかみ締めて耐える。
が。
「……あっつーい!!いったーい!!もうやだ――!!」
ぼろぼろぼろ。
暑さでなくなりかけていた理性が、その瞬間涙とともに流れ落ちていった。
「え、お、おい、桜庭……!」
反対に、原田の理性は戻ったようで、頬をつねっていた指を離した。
涙を流す鈴花の両頬には、くっきりと赤い指の跡。
「痛いぃぃぃぃぃぃ」
離されると痛さが増していき、鈴花の涙は止まることはない。
その横で原田はおろおろとする。
女に泣かれることにも弱いというのに、相手は鈴花。
どうすれば良いのかなど、検討もつかなかった。
しかし、そんな悠長なことを言ってる場合ではない。
盛大な泣き声をあげる鈴花に、他の隊士が気づくかもしれないのだから。
「と、とりあえず、こっち来い!」
首にかけていた手ぬぐいで彼女の口を塞ぎ、そのまま抱えるようにして、手近な部屋へと走り出した。
汗臭い。
鈴花の泣き声に、そんな言葉が混じっていたのはあえて聞こえないように心がけたのは、言うまでもない。
「……悪かったよ」
そっぽを向いて、そう謝る。
涙の止まった鈴花の頬には、水で濡らされた手ぬぐいが当てられている。
臭いのは嫌だという彼女の為に、原田が箪笥の奥から引っ張り出した唯一きれいな手ぬぐいだった。
「その、な、暑いのもあるし、俺だって悪気があったわけじゃ……」
ぼそぼそと言い訳をする原田を鈴花はぼんやりと見つめていた。
頬に当てた手ぬぐいが、ひんやりとしていて気持ちがいい。
暑さでなくしていた理性が、少しずつ戻ってくるようだった。
原田の言い訳は、まだまだ続いている。
鈴花は、その様子を見てくすりと笑った。
「……何だよ」
「いえ、私も、悪かったですから」
「……だいたい、おまえがあんな所で転がってるから悪いんだよ」
「そりゃそうですけど、蹴ることもなかったんじゃないですか?」
せっかく、仲良く出来る雰囲気だったというのに、またしても険悪になりそうな空気が流れ出した。
むっとしたまま言い返すと、それまで項垂れていた原田も力を取り戻していく。
「だから謝ってっだろ」
「謝ればいいんですか!?」
「大体なぁ、あんな所に寝転がってて、他の誰かに見られたらどうすんだよ!?」
「べ、別にどうもしないですよ!」
「馬っ鹿やろ、あんな姿他のやつらに見せてたまるかっ!!」
「……は?」
理解出来ない言葉に、鈴花は首をかしげた。
そんな彼女には気づかず、原田はなおも言葉を重ねる。
「着物の袷は開きかけて白い肌が見えてたり、暑いから頬がうっすら染まってたり、汗が流れる様が妙に色っぽかったり……それが桜庭だから余計だしよ。ほら、アレだ。普段は男と同じに刀振ってんのに、うっかり女っぽいところ見ちまったら……。だ――!!見せられるわけねーだろーっっっ!!」
「……え……」
「だってよ、こんな溶けそうな暑さだぞ?桜庭なら溶けてもうめぇんじゃねぇかとか、もういっそ食っちまいてぇとか……」
「ちょ、え、原田さん!?」
鈴花の頬が、瞬時に赤く染まった。
先ほどの暑さなどとは比べ物にもならないぐらいの熱が、彼女を襲う。
くらくらと回る頭を抱え、何とか原田を止めようと画策する。
このまま聞いていたら、今度は脳の中まで溶けてしまいそうだった。
しかし。
「他のやつらに食わせるわけにゃいかねーんだよ」
鬼気迫った顔の原田に、腕をつかまれてしまった。
そして、そのまま。
ぺろり。
「!!」
腕を舐められる。
火傷しそうなぐらい熱い原田の舌が、鈴花の腕を往復していく。
「はら、だ、さん……」
暑さではなく、原田の熱で溶けてしまいそうな錯覚を覚える。
舐められた後から溶けてしまい、原田に食べられてしまうような……。
「原田さん、や……ぁ」
耐え切れず漏らした声は、ひどく掠れていて。
誘われるように、互いの唇が触れ合った。
その瞬間。
「!!」
がばっと、原田が身を起した。
鈴花の目に映ったのは。
これ以上ないというぐらい、顔を赤らめた原田が脱兎のごとく逃げ出した、その後ろ姿のみだった。
「……なん、だったんだろう……」
どきどきと、収まらない胸を押さえながら、鈴花は考えをまとめようと、頭を働かせる。
しかし、受けた衝撃が暑さと合わさり、それは至難の技となった。
とりあえず。
暑くても、我慢はしないといけないということと。
舐められた腕の熱さが、嫌なものではなかったと。
それだけが、鈴花の心に深く刻まれていったのだった。
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