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天気予報
がつん。
何かが、当たった。
痛い?痛いのだろうか?
考えている間に、目の前がちかちかと光り出し――。
「さ、桜庭さん!」
心配そうな誰かの声を聞きながら、意識を手放した。
☆
ひやり、と冷たい感触が気持ちよかった。
なんだろうこれは。
鈴花は、確かめるように手を伸ばした。が、上手い具合に動かない。
訝しく思いながら身を起こそうとするが、やはりそれも上手くいかない。
「桜庭さん、気がつきました?」
幾分心配そうな響きを帯びた声は、聞き覚えのある声。だが、彼のこんな声を聞くのは珍しい。いつもは飄々としているのに。
首を傾げ、ようやくそこでおかしい事に気がついた。
鈴花は、目を開けていなかったのだ。
そう思いたち目を開けようとするが、やはりそれも上手くいかない。
重い瞼を無理やりこじ開けると、目の前がぼんやりと霞んでいた。数度瞬きをすると少しずつ視界が広がっていくが、それと同時に膜がかかったようだった頭の中もしっかりと澄み渡ってきた。
そして。
「……痛い……」
鈍い痛みが、鈴花を襲った。
痛みの元は額から。のろのろと腕を伸ばせば、今度はきちんと動かすことが出来た。
緩慢な動作を悔しく思いながら、痛む箇所へそっと触る。
「……っ」
最初に触れたのは、濡れた手ぬぐいの感触。最初に感じたものはこれだったのだ。
しかし、最初こそ冷たく感じたものの、今はすっかり温くなってしまっている。
それもそのはず。
手ぬぐいの下にある鈴花の皮膚は、熱を持って腫れあがっていたのだ。
俗に言う、たんこぶが出来ている。
「……桜庭さん、大丈夫ですか?」
「沖田、さん?」
目だけを動かすと、視界の端に見慣れた姿が映った。
言葉こそ心配そうな響きを伴っているが、その口は笑いを必死に堪えているようにしか見えない。
彼の表情に本能的にむっとしながらも、鈴花は今の状況を思い返した。
一体、何故こんなことになったのか。
そう、最初は沖田を探して来いとの土方からの命令だった。
どうせ壬生寺で子ども達と遊んでいるのだから、他の隊士が行くよりは鈴花が行った方が、子ども達も怯えなくてすむという心配りらしかった。
今日は非番であったのだし、と承諾し壬生寺へ向かったのだ。
そこで、確かに沖田を見つけた。
いつも通り子ども達と一緒に遊んではいたのだが、どうもそれは鬼ごっこではないらしかった。
何故か大きく足を振り上げ――。
覚えているのは、そこまでだった。
「……一体、何が……」
呆然と呟く鈴花に、周りから一斉に声がかかる。
「ごめんなさい、お姉ちゃん!」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
驚いて身を起こすと、彼女をぐるりと囲むように子ども達の垣根が出来ていた。
見覚えがある子が多いのは、やはりいつも沖田と遊ぶ面子だからだろう。
「あの、何であなた達が謝るの?」
「いや、ちょっとね、遊んでたものが桜庭さんに当たってしまったんですよ」
「……は?」
鈴花の疑問に、沖田が朗らかに答える。
すっと差し出されたのは、一つの下駄。一足ではない、片方だけの下駄。
「これをね、飛ばしてしまったんですよ。桜庭さんのおでこに」
「……はぁっ!?」
ごめんなさーい、あははははは。
笑う沖田に、鈴花は拳を固める。
それを留めることが出来たのは、ひとえに周りの子ども達が口々に謝罪の言葉を降らせたからに他ならなかった。
泣く子まで出てしまっては、どちらが被害者か分かったものではない。
「ほら、もうお姉ちゃんは大丈夫だから泣き止んで?」
「……ほんとうに? 痛く、ない……?」
「大丈夫ですよ、桜庭さんはいつも稽古で怪我してるんですから、これぐらいへっちゃらです!」
何故沖田さんがそんなことを言うのですか。
再び振り上げそうになった拳を握り締め、それでも理性を保って笑顔を作った。
心配そうに手を振る子ども達を見送った時には、壬生寺は夕日に照らされる刻限になってしまっていた。
「こんなに時間かかったら、土方さんに怒られちゃう……」
怪我をした上に、鬼の副長からは大目玉。なんて不運なんだろう。
痛む額を押さえながら、鈴花は重い溜息を付いた。
「土方さんには、僕からちゃんと説明しますって」
軽い声を掛けながら、沖田が手ぬぐいを差し出した。
壬生の名水で冷やしたら、すぐによくなりますよ。
そう笑う沖田は腹立たしかったが、新たに冷やされた手ぬぐいはひんやりとしていて確かに気持ちがよかった。
「何で下駄なんか飛ばしてたんですか?」
「あー、最近雨が多いじゃないですか。で、明日は晴れて欲しいなーって皆が話してて……」
「……それで、天気予報だったんですか……」
てるてる坊主も作ったんですけどね。
そう言って沖田が指差すのは、鈴花の額に当てられた手ぬぐい。
まだ冷たいそれをそっと剥がしていくと、二つほど墨がじんわりと滲んでいるのがわかった。
どうもそれは、てるてる坊主の目の部分らしい。
「……私がてるてる坊主、壊しちゃったんですね」
「仕方ありませんよ。怪我させちゃったんだし」
沖田はそう笑うが、鈴花は何だか申し訳がなくなり手ぬぐいを畳みなおした。元はといえば、下駄を鈴花にぶつけた彼が悪いのだが、てるてる坊主を作った時の子ども達の嬉しそうな顔が思い浮かび、とうてい使えそうにないのだ。
鈴花はそっと草履を脱ぎ、落ちたままだった下駄を履く。
前に人がいないのを確認し――。
「……あーした天気になーぁれっ!」
天高く、下駄を蹴飛ばした。
下駄は大きく弧を描き空を翔け、そして軽やかな音をたてて転がっていく。
結果は。
「……晴れ、ですね」
にっこりと沖田が笑った。
下駄は見事に表向き。この予報が当たるのならば、明日は子ども達の願いどおり晴れのはず。
「天気予報はちゃんと晴れになってくれたけど、そのかわり桜庭さんにたんこぶが出来ちゃいましたね」
「……痛っ!触らないでくださいよ」
「屯所に帰ったら薬塗りましょうね」
「たんこぶに効く薬なんて聞いたことないですよ。大丈夫です、こんなの舐めたら治ります」
微かに触られただけでも、額はずきずきと痛む。
鈴花はいたずらに触られないようにと患部を守りながら、ひたすら大丈夫だと強がりを言った。
「……そんな所、どうやって舐めるんですか」
呆れた沖田の声が後ろから聞こえてきたが、知らんふりを決め込み下駄を拾う。
真っ直ぐ上を向いた下駄は、夕焼けに染められ赤く光っていた。
下駄予報でなくても、きっと明日は晴れるのだろう。
鈴花はそう確信し、笑みをもらした。
油断した、その時。
「桜庭さん!」
「!」
額に、温かな感触。
痛いと思う間もなくそれは離れていった。
一瞬の後、空気に触れてそこはひやりと冷める。後に残ったのは濡れた感触のみ。
「お、お、沖田さん! 何するんですかぁぁぁっ!」
鈴花が顔を真っ赤にして怒鳴ると、沖田は笑いながら彼女の横を通り過ぎた。
「だって、舐めたら治るんでしょ? 桜庭さんじゃ舐められないから、代わりに僕が舐めました。」
「そ、そんな……!」
風のように触れていった沖田の唇。ほんの一瞬であったにも関わらず、その感触は鈴花の脳裏に鮮明に刻み込まれた。
たんこぶにも負けず劣らず赤くなる顔を押さえ、鈴花は立ち尽くした。
そんな彼女を振り返り、沖田は笑う。
「桜庭さん、帰りますよー。早くしないとまた土方さんに怒られる」
賑やかな声が遠ざかっていく壬生寺を、夕焼けがより濃く染め上げていく。
明日もきっと、澄み渡った空が広がることを伝えながら。
モドル