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「はい、出来ましたよ」
「ありがとうございます、鈴花先生」

 掛けられた言葉に、鈴花は苦笑した。
 ここで生活するようになってから、もう随分とたつというのに、先生と呼ばれることには未だ慣れない。
 
「いつもすいません、鈴花先生」
「いえいえ。でも、先週もつき指されましたよね? 呉服問屋さんて、そんなに怪我なさることがあるんですか?」
「え? あ、いえ、その……」

 鈴花の問いに、患者である青年はしどろもどろに言い訳をする。
 ついつい、荷物を多めに持ってしまうとか、もしかしたら突き指がクセになってしまっているのかもしれない、とか。
 そして、意を決したように顔をあげる。

「す、鈴花先生……!」
「おーい鈴花ー今帰ったぞー!」

 しかし、青年の言葉を封じるかのごとく絶妙なタイミングで家の主が帰宅した。
 鈴花は、慌てて患者に謝ってから戸口へ向かう。

「おかえりなさい、松本先生」
「なんだ、また急患だったのか?」

 そう言うと、この家の主たる松本良純は患者の顔を確認し、呆れた顔を作った。

「なんだ、また西村屋の若旦那かい。何でこう、休診の時に怪我するんだ。どれ、俺がもう一度看てやろうか?」
「い、いえ、松本先生。ただの突き指なんで……。失礼します」
「あ、お大事に」
 
 逃げ帰る青年の姿に、あんなに慌てていると今度はこけてしまうのでは、と不安になってしまう。
 そんな様子の鈴花に、松本は溜息をついた。
 きっと、あの若旦那の気持ちの半分も、彼女に届いてはいないのだ。



 鈴花が、松本の元に身を寄せてから、三年が過ぎた。
 三年前のあの日。その事を思い出すと、今でも胸が詰まる。
 鳥羽伏見の戦いで、鈴花は深手を負った。
 銃弾による傷。それは、近藤の怪我でどんな状態に至るか経験している。
 ましてや、山崎と共に松本の指導を受けてきた鈴花ならば、なおさら。
 幸いなことに、彼女の傷は近藤ほどは酷くはなかった。自力で前線を脱し、何とか応急手当の出来るところまで行くことも出来た。
 だが、その後が問題だった。
 自力で銃弾を取り除けるはずもなく、ひたすら江戸を目指して歩いたのだ。
 何も松本の所まで行かなくとも、道中にも医者はいただろう。しかし、当時の新選組の立場からして、おいそれと見知らぬ医者に看てもらうわけにはいかなかった。下手をすれば、敵方に囚われる恐れもある。
 止血と休養を繰り返し、江戸の松本の元へと着いた時、鈴花はついに倒れてしまったのだ。
 そのまま、浅い眠りと浅い覚醒を繰り返すこと数ヶ月。
 彼女が、物事を理解できる頭戻った時に突きつけられた現状は、新選組の事実上の解散と、もう二度と剣は振れないという事実。
 その二つに、目の前が真っ暗になる思いだった。
 剣で身を立てたいと入った新選組。そこでもう、役に立てない。
 それどころか、家族以上の絆を持っていたあの組織が、もう存在しない。
 その時の彼女の様子は、生きる気力をなくしたという表現が的確だろう。
 だが鈴花は、それをなくしてはいけない事もよくわかっていた。
 死んでいった仲間、そして、自分が斬り捨てた相手。そして、近藤や土方。
 その他にも、今は亡き人々を思えば生きる気力がないなど、口が裂けても言えない言葉だった。
 どうにかして、生きていかなければ。
 そんな鈴花を救ったのが、療養先の主である松本だった。
 怪我の癒えた彼女に、自分の助手を勧めたのだ。
 新選組として、たくさんの人の命を奪った鈴花の、第二の仕事。
 それが、人の命を助ける仕事だった。
 三年たった今では、怪我の治療ならばよほどのひどい傷でもないかぎり、松本がいなくてもやっていけるぐらいの腕前で、評判も上々だ。
 松本が、一風変わった人物であるだけに、彼女の存在は重宝されているということもある。
 鈴花は三年かけて、第三の自分の場所を見つけることが出来たのだった。
 

「じゃあ、いってくるからな」
「はい、お気をつけて」
 そう言って、松本に鞄を渡す。彼は本日から、3日ほど出張に行くらしい。
 外国との交易が盛んになり、医療も変わった。それは西洋医学を取り入れていた松本でさえ、月に何度か勉強に行かなくてはならないほどに激変していた。

「留守中は、無理するんじゃねぇぞ。手に負えねぇ患者は、信用出来る医者に相談するか、俺が帰ってくるまで待ってもらえ。そのへんの判断はまかせるからな」
「はい、松本先生」

 いつもの松本の言葉に、鈴花は笑う。
 自分を気遣ってくれる言葉が素直に嬉しい。
 今もどこにいるかわからない父親も、ふとした瞬間にこんな優しさを見せてくれたものだと、松本の背中を見送りながら、鈴花はそんな事を考えていた。

「さて、と」

 診療時間までは時間があるし、その前に掃除でもしておこうと、鈴花は雑巾を取りに台所へ行った。
 その時。
 まだ、休診中の札が出ているはずなのに、玄関の戸の開いた音が聞こえた。
 その上、松本不在の張り紙までしてあるというのに。
 
「もしかして、いつもの呉服問屋の若旦那さん……?」

 そんな事を思い、玄関へ急いだ。
 そして、時が止まった。

「……桜庭……」

 久しぶりに聞く、自分の苗字。
 診療所に来てからは、下の名でしか呼ばれたことがない。
 松本が、鈴花と呼ぶせいもある。
 しかしそれ以上に、鈴花が過去を語らなかった事もあり、患者や近所の人は彼女のことを下の名で呼ぶのだ。
 桜庭、と苗字で呼ぶのは、彼女の過去を知っている人間。

「……桜庭……」

 もう一度、呼ばれる。
 鈴花の目に映っているのは、赤茶けた髪の毛に相変わらずの無精ひげ。
 わかっている。これが誰なのかは、鈴花とてわかっている。
 それでも、体が動かなかった。心が、動かなかった。
 止まっていた三年の月日を動かしたくはなかった。
 だが、現実はそうもいかない。
 鈴花に、過去を蘇らせた人物は、動けない彼女の変わりに行動を起こした。
 一歩一歩近づくその足取りは、鈴花が声を出せないでいるのを分かっているのか慎重だった。
 だが。

「……桜庭……!」

 想いは溢れ、時間は流れ出す。
 鈴花に過去を蘇らせるためにやってきた人物。かつての戦友で、かつての上司で。
 かつての想い人でもあるその人物は、想いの堰を切ったように一気に彼女へ駆け寄った。

「……なが、くら……さん……?」

 鈴花は、暖かな腕の中で、ようやくその名を呟くことが出来た。
 自分が抱きしめられていると自覚したのは、その後からだった。
 鈴花の胸に風が、吹いた。





「……」
「………………」

 互いに無言で向き合いどれぐらいの時間が過ぎただろう。
 顔を見ることも出来ず二人して正座をし、俯いたまま時間だけが過ぎていった。
 抱きしめられて、永倉の匂いに包まれたあの時、ようやく鈴花の脳が反応を返した。
 離れなければ、と。
 離れなければ、今の日常が壊れてしまう、と……。
 そして、どうにか腕を抜け出すと、我に返った永倉にひたすら謝られ、今に至る。
 
 どうしよう、そんな言葉だけが鈴花の胸をよぎる。
 会話の糸口が掴めない。
 あんな事さえなければ、もう少し普通に接することが出来たかもしれないのに。
 思わず、鈴花の顔が赤くなった。
 思い出すと余計に、顔が上げられない。
 それどころかここにいることさえも恥ずかしくなってしまう。

「わ、私、お茶入れてきます……!!」

 逃げる口実を作り、立ち上がった。
 口にして初めて、まだお茶すら出していなかった事に気がついた。
 しかしその言葉で、永倉を縛る呪縛も解けてしまう。
 
「桜庭……!」

 部屋を出ようとした鈴花の手は、永倉につかまれてしまった。
 そのまま引っ張られると、思わず鈴花は体に力を入れた。

「痛……!」
 
 その結果、思い切り古傷に響いてしまい苦痛が口から零れ落ちる。

「わ、悪ぃ……!」
「あ、いえ……」

 そうは言うものの、腕がひどく痛む。
 ここ三年、怪我の残る腕は一切無理をしていなかったのだ。

「大丈夫か……?」

 永倉が心配そうに覗き込んだが、痛みはすぐにひいてきた。
 傷口が広がるわけではないので、ひくのも早い。
 ほっと息をつき顔を上げた鈴花の目に飛び込んできたのは、驚くほど間近にあった永倉の顔だった。
 痛いと訴えた後でも、その手は離れておらず、未だ握られたまま。

「あ、あの、永倉さん、手……」

 離して下さい。
 そう言いたかったのだが、反対に力をこめられてしまう。
 今度は、掌なので痛みはない。しかしその代わりに、恥ずかしくてたまらなかった。

「離したらおめぇ、逃げるだろ?」
 
 まるで言い訳のように、永倉が呟いた。
 そして、鈴花はそれに否定出来ないのだった。
 それ以後は、ずっと手を握られたまま話は進めらる羽目になってしまった。

「……探したんだぜ……」
「……」

 苦しそうに呟かれた言葉に、鈴花は目を伏せた。
 鳥羽伏見の戦いで負傷した後、戦線離脱する旨を誰にも告げられなかった。
 彼女が怪我をしたのと同じように、その周りにいた隊士達も怪我をしていた。
 誰も、他人を気にするほどの余裕はない。
 それに加え、戦えないという事実が、実際に受けた傷以上に深く彼女の心を蝕んでいた。
 告げられる状況でなかったのにかこつけて、告げようとする努力を放棄したのだ。
 そして、そのまま松本の元へ。
 着いた後には、新選組は解散。寝込んで目が覚めた後には。近藤の死を耳にしたのだった。
 それ以後、鈴花は極力新選組の話題を避けていた。
 もしかすると、生き残った新選組の面々は自分を探しているのかもしれない、そんな考えも浮かんだが、到底会えるような心境ではなかった。
 松本の所にも、彼女の安否を尋ねる生き残り隊士が来たかもしれない。しかし、そんな鈴花の心の病状を知る松本が、彼女のことを漏らすとは思えない。
 きっと、今日永倉が尋ねるまで鈴花は死んだも同然の扱いだったのだろう。

「……桜庭……」

 名を呼ばれ、ぎゅっと掌を強く握られる。
 何故連絡を取らなかったのかという永倉の思いが手を通して伝わってくる。

「……すいま、せん……」

 しかし、鈴花にはこう答えるのが精一杯だった。

「謝ってほしいんじゃねぇ……。そうじゃなくて……」
「……」
 
 永倉は、空いた方の手で頭をかく。

「……何度か……ここにも来たんだぜ?でも、松本先生は何も言わねぇし……。この前、偶然近くまで来たんだ。そしたら……。松本先生の所の助手の話を聞いて……」
「…………」
 
 この日、永倉が診療所の近所まで来たのは、本当に偶然だった。
 その噂を耳にしたのも、本当に幸運としか言いようがない。
 井戸で話をする女性達の話題など、いつもなら放っておくところなのに、この日はつい耳をそばだてた。

「松本先生の助手の先生、もしかしたら、娘さんかねぇ? かわいいし、よく気がつくいい子だよ」
「でも、知ってる? かわいそうに、腕にいっぱい傷がついてるんだよ」
「おや、そうなのかい……。そう言えば、肩を怪我して腕が上まであがらないって聞いたよ。ワケありなのかもしれないねぇ。まあ、いい先生だし、関係ないじゃないか」
 
 そこで、永倉はぴんときたのだ。
 まさか、という思いもあったが、生きていて欲しいと願う心がそれを上回った。
 そしてその足で、松本の診療所の戸を叩いたのだった。

「……ごめんなさい……」

 鈴花は、もう一度謝った。
 他に、どんな言葉も思いつかないし、言い訳も出来ない。
 ただひたすら、永倉から顔を背けて謝ることしか、出来ない。

「だから、謝って欲しいんじゃねぇよ……! そうじゃなくて……ああくそっ!」

 言葉が見つからないのは、永倉も同じのようだった。
 何度も頭をかき、必死に彼女を繋ぎとめる。

「謝って欲しいわけじゃないし、ここに至った経緯だって想像出きる。でもよ、そうじゃねぇんだ……」

 煮詰まった頭では、うまい言葉は出ず、ましてやそんな事は永倉の得意分野でもない。
 業を煮やした永倉は、そのまま空いている方の手で鈴花の肩を掴み、握っている手はそのままで再度彼女を抱き寄せた。
 
「……あ……っ」

 三年の間に、驚くほど細くなってしまった体は、簡単にバランスを崩し永倉の胸へと収まった。
 咄嗟に抵抗しようとする鈴花の体は更にきつく抱きしめられる。
 言いたい言葉は見つからないようだったが、その代わりに抱きしめる腕に力を込められた。
 
「……永倉さん……」

 抵抗を緩めた鈴花の耳に、規則的な鼓動が聞こえる。
 それは耳の近くで、永倉の胸からのもの。
 それは、いつも彼女が聞く患者の心臓の音よりも早く、永倉の心境を語っていた。

「……永倉さん……」
 
 もう一度そっと名を呼ぶ。
 握られたままの掌に、微かな振動があった。
 
「……生きていてくれて……良かった……」

 そっと呟かれた言葉は、ずっしりと重みのあるものだった。
 恐らく、永倉がずっと言いたかった、何よりも言いたかった言葉。
 それがようやく、鈴花に届いたのだった。

「永倉さん……」

 伏せていた顔を上げれば、苦しそうな目の永倉と視線が交差する。
 長く握られた掌が、そっと開いた。
 大きなその手は、そのまま彼女の頬へ。
 柔らかさを確かめるように、軽く撫でる。
 視線は絡んだまま、互いの顔の距離が、すこしずつ近づいていく。
 まるで、引き寄せられるかのように。
 しかしその時。

「おはようございまーす! 鈴花先生? 診療、まだですか?」
「!」

 玄関から聞こえてきた声に、二人して我に返り、鈴花は慌てて永倉の腕から抜け出した。
 そのまま、逃げるように、玄関へと急ぐ。
 残された永倉は溜息をついて、がしがしと頭をかいた。
 
「……らしくねーなぁ……」

 その声は小さく、鈴花には届いていない。

「ご、ごめんなさい、診療時間過ぎてましたね……! すぐ準備します」
 
 玄関にいたのは、今日もまた、怪我をしたらしいいつもの呉服問屋の若旦那。
 鈴花は赤い顔を誤魔化すかのように口早に説明し、休診中の札を外した。

「どうぞ」
 
 患者を通そうと玄関を大きく開けた時、永倉がその横をすり抜けた。
 通りざまに、軽く頭を撫でられる。

「また来らぁ」

 前を向いたままそう告げ、ひらひらと手を振った。
 その耳が赤いのは、鈴花の見間違いではないだろう。
 その様子に、胸が甘く痛む。
 心の底で望む、平和な日常。仕舞い込んでおきたい過去。それが、崩れていくような予感がする。
 胸に吹いた風は、嵐の予感がした。





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その風は