「腕が、上がらないんです……」
 
 鈴花は、そう切り出した。
 今は着物に隠れている左肩に手をやる。
 何とか急所を外れてはいたものの、幾日も鉛玉を埋め込んだままだった患部は今でも醜く引き攣れている。

「……そうか……」
「ずっと黙ってて、すいませんでした」

 畳に髪の毛が触れるほど低く頭を下げる。
 剣を持てないことに落ち込んでいた間、自分は死んだものと偽っていた間、永倉がどんな思いをしていたのか。
 それは、先日のあの姿を見れば、想像できる。
 申し訳ないことをした、と心の底から鈴花はそう思った。
 自分が目覚めて近藤の死を知った時、あれほどまで、悲しい思いをしたのだから。
 永倉たちが、自分のことでそんな思いをしたのであれば、申し訳なくて頭が上がらなかった。
 新選組を忘れたいのは、自分の勝手だ。しかし、それに他人を巻き込んでいたことなどついぞ、考えてはいなかった。

「……頭、あげろ……」
「永倉さん……」
「謝って欲しいんじゃねえっつったろ」
「……はい……」

 鈴花は、言われるまま渋々顔を上げた。
 永倉が、まっすぐに彼女を見詰めている。
 
「髪が……伸びたんだな」
「はい。少しは女らしく見えますか?」
 
 少し茶化して言うと、空気が緩んだような気がした。
 自然と、肩の力が抜ける。
 大丈夫と、自分に言い聞かせる。
 先程聞いた永倉の言葉が、鈴花を後押しする。
 
 ――俺は、あいつを知ってる。昔の……本来の桜庭を。何年も、見てきたんだ。あいつは……――

 あいつは、そんな弱いやつじゃない。
 そう、聞こえた。
 半ば忘れかけていた、本来の自分。それを、思い出したかった。
 目を閉じれば浮かんでくる、いつかの光景。
 仲間達と笑いあい稽古した事、初めて任務についた時の事。
 そして、人を斬る感触。
 その途端、ぞくりと背筋が寒くなった。
 何年も、思い出さなかった、あの感触。心に思い浮かべば、いつでも掌に蘇ってくる。
 忘れて良いわけがない。この感触は、自分が奪った命の数々。
 忘れられるわけがない。自分は、これらを背負って生きていかなければいけないと、思っていたはずなのだから。
 深呼吸を一つして、再度大丈夫だと自分に言い聞かせる。
 これから、何を思い出しても自分は大丈夫だと。
 そっと目を開ければ、永倉はまだ鈴花を見つめていた。
 今度こそ、その目を真っ直ぐ見る事が出来る。
 
「話して、下さい。鳥羽伏見の戦いの後……新選組が、どうなったか」
「桜庭……」
「……お願い、します……」

 永倉の話が終わった頃には。
 日はどっぷりと暮れ、明かりを灯せなかった室内は、ほぼ暗闇だった。
 その中で鈴花は、ただ静かに涙を零してた。
 永倉は、彼女の抜けた後の新選組をすべて話してくれた。
 戦いの様相も、隊士達の死も包み隠さず。
 そして、近藤・土方との別れがあり、その後の永倉たちの戦いの事も。
 そして、つたえ聞いたという近藤の最期。結局、参戦出来なかった、土方の戦いの最期。
 そのすべてを鈴花は聞き届けた。
 最期まで信念を持って戦った仲間達を思うと、涙が止まらなかった。
 彼女の愛した新選組が、そこにはあった。
 はちきれそうなほどの痛みを覚え、鈴花は胸を押さえた。
 こんな思いをするのがわかってきたから、思い出したくはなかった。
 しかし、恐れていた自己憐憫の感情はそこにはない。
 こんな話を聞いてしまっては、最期まで戦えなかった自分がかわいそう、などとは到底、思えなかった。
 ただただ、生きながらえた自分が申し訳なく、共に戦えなかったことが悔しく、そして、死んでしまった仲間達を想って、鈴花はひたすら涙を流した。
 そんな彼女を慰めるように、永倉の太い腕が鈴花の背中にまわった。
 最初はそっと、次第に力強く。
 鈴花はその腕に縋るように、しがみついて声を上げて泣いた。
 どれくらい、そうしていただろう。
 薄闇が、どんどんその濃さを増していくき、それにつれ鈴花の嗚咽も収まってきた。
 永倉は、まだ彼女を腕の中に抱き込んだまま、柔らかい髪を何度も梳いていた。
 
「大丈夫か?」
「……はい……」
「そうか」

 ほっとしたように、永倉はその髪に顔を埋めた。
 鈴花を支える腕も、少し力が抜ける。
 
「永倉さん……?」
「ん?」
「話してくださって、ありがとうございました……」
「……おう」

 鈴花の頭の上で、永倉が微笑んだ気配がした。
 そして、頭に何かが触れた。次に額に、目尻を掠めてその次は瞼に。
 頬を鼻筋を、そして、唇を。
 泣くという行為は、思いのほか体力を使うもので、鈴花は永倉の行為をぼんやりと受けていた。
 それが口付けであるという事には頭のどこかで気付いていたが、抵抗する気は起きなかった。
 少なくとも、嫌ではない。それどころか、暖かな唇や舌が心地よく、うっとりと眼を閉じてしまった。
 それを了承ととったのか、永倉の唇が、鈴花のそれにそっと重なった。
 しばらく唇を合わせた後、静かに温もりが遠ざかる。唇を離した二人の視線が交差した。
 暗闇のなかでも、ぼんやりと浮かび上がる互いの顔。三年前より少しずつ変わってしまった、互いの顔。
 だが、その瞳はまるで何も変わらないかのように、互いの姿を映す。
 鈴花は、そっと目を閉じると、再び永倉の唇が重なる。
 今度はしっかりと、互いの存在を確認するように。
 鈴花の手は、そんな永倉に反応するかのように動いた。
 まるで強請るかのように、彼の着物を掴みぎゅっと握る。
 口付けは、何度も繰り返された。
 深く浅く、時には啄ばむように。
 ふ、と唇を離せば、真剣な光を宿した永倉の瞳がそこにはあった。
 視線が逸らせないぐらいじっと見つめられ、鈴花の胸が高まる。
 それがどういう意味を持ったものか、彼女には理解出来なかったが、それでも永倉の視線から逃れることは出来なかった。

「……桜庭、俺と一緒に来い」
「……え……?」
「俺と、一緒に……一緒にならねぇか……?」

 言われた言葉が理解出来ず、鈴花は永倉を見上げた。
 真剣な顔がすこしずつ赤らんでいき、それを隠すかのように鈴花は永倉の腕の腕の中へ押し込まれた。
 顔は見えなず、着物を隔てた向こうにある永倉の速い鼓動だけが、彼の心を現しているようだった。

「……桜庭……」
 
 そう呟き、永倉は何か言いたげに口ごもった。

「……鈴花……」
「!」
「鈴花、俺と一緒にならねぇか?」

 名を呼ばれ、鈴花はようやく永倉の言葉の意味を理解する。
 思わず、その腕の中から見上げると、その目は、いつになく真剣でそこに宿る光はいつになく彼女を求めとめていて、鈴花は、囚われたように、目が離せなくなってしまった。

「……鈴……」

 もう一度呼ばれ、両頬を大きな手で包まれる。
 その親指が頬を撫でると、鈴花はうっとりと目を閉じた。
 一緒に。永倉さんと、一緒に。
 かつての、焦げるような想いが、胸に戻ってくる。
 あの頃は、彼が島原へ繰り出すのを複雑な思いで見送った。
 それが今、一緒になろうと、夫婦に、なろうとそう告げられている。
 吐息が近くなり口付けられる予感がした。
 一緒になろう、その言葉が鈴花の頭の中で回る。

 ――す、鈴花先生……!ぼ、ぼ、僕と一緒になってくれませんか……?―

「あ……!」

 ふいに脳裏に蘇った声で、鈴花は我に返った。
 そのまま永倉の胸を押し、柔らかな拘束から逃れる。不意を突かれた永倉は、いとも簡単に彼女を腕から離してしまった。

「桜庭?」

 思わず、呼び名も元に戻る。
 鈴花の顔から血の気がひいていく。

「桜庭?」

 もう一度呼ばれ、ゆっくりと顔を上げると、それを見つめる永倉の表情までも強張っていくのがわかった。
 
「あ……俺、焦りすぎちまったか?」

 小さくなる永倉の言葉に、鈴花は力なく首を振った。
 
「ご、めんなさ……わ、私……」
「桜庭?」
「私……」

 泣きそうな気持ちで、鈴花は掌を固く握り締めた。
 言わなければならない言葉は、喉の奥に張り付いて出てこようとしない。
 それをむりやりこじ開け、必死で言葉を紡ぐ。

「他の方に、嫁ぐんです…………」
 


 永倉が去った、診療所。
 彼がいた痕跡そのままの部屋で、松本が帰ってきたのにも、気づかないほど鈴花はうなだれていた。
 明かりを灯され、やっぱり、無理だったんじゃねぇかとそう言われた時、初めて鈴花はその存在に気がついた。
 慌てて、違うと説明する。
 話してもらったことで、長年胸にたまった重いものが、流れてしまったこと、新選組の事実をきちんと受け入れられたことを説明した。
 すると、益々松本の表情が困惑したものになる。

「じゃあ、何でそんな顔してやがる」

 鈴花は、口ごもったが、松本相手にだんまりを通すわけにはいかない。

「……一緒にならないかって……言われたんです……」

 一瞬、驚いた顔をした松本だが、まったく予想しなかったと言えば、嘘になる。
 永倉が、こうまで鈴花を探していた理由はやはりそこにあると踏んでいたとしか思えなかった。
 
「で、でも、私……。西村屋さんの若旦那さんに……返事……してしまったんです……」

 それは、つい数刻前の出来事。
 一生懸命な彼に、鈴花はつい頷いてしまったのだった。
 その時に、永倉の顔が過ぎったが、それを振り払うためにもそう答えてしまった。
 まさか永倉が自分のことを想っているなどとは、夢にも想わなかったのだ。

「……で?お前さん、先着順で亭主を決めるのかい?」
「だって、先生……!!」
「……まぁな、焚き付けちまった俺も悪ぃんだが。でも、お前さんがそこまで新八を好いてるなんざ、知らなかったんでなぁ」
「……」
「……そんな顔で、嫁に行っても向こうも喜ばねぇんじゃねぇか?」
「……そんな簡単に、いきませんよ……」
 
 苦しそうに吐き出された言葉に、松本はつい頷く。
 親の言いなりで結婚する事も珍しくない。それこそ、好きあっている二人を引き裂いてでも、結婚させるものだ。
 確かに、一度一緒になると答えた相手に、やっぱりやめるとは言えやしない。
 だがしかし。

「これは、家の結婚じゃねぇんだ」
「……」

 そんな簡単にいく問題ではない。項垂れる鈴花に、松本は優しい声音で呟いた。

「ま、よぅく考えな。一生のことなんだぜ?」

 どうしよう。鈴花の頭には、その言葉しか浮かばない。
 ずっと、永倉の言葉が頭に響いていて昨夜は一睡も出来なかった。
 どうしよう。
 
「……鈴花先生……?」
「え?」

 はっとして顔を上げると、目の前には頭に浮かんだ人物ではない顔がある。
 今は、西村屋の若旦那と昼食を食べに来ているのを鈴花はたった今思い出した。
 目の前には、手付かずの蕎麦が置いてあり、不思議な顔をされても仕方がない。
 鈴花は、誤魔化すように曖昧に笑い、のろのろと箸を取る。
 食欲など、あるわけない。おいしいと評判の蕎麦も、味気のないものに思え、何とか嚥下するものの次には手が伸びない。
 
「……鈴花先生?どこか、体の調子でも悪いんですか?」
「え……?あ、いえ、そんなことないです……」

 心配そうに問われ、慌てて首を振る。
 寝不足ではあるが、体調が悪いわけではない。しかし、その顔色は悪く食欲もないのだからそう思われても仕方がなかった。

「……あの、やはり迷惑だったんでしょうか……?」
「……え……?」

 鈴花は、問われた意味がわからず首を傾げた。
 
「……一緒になって下さいって言ってから……何だか、鈴花先生の様子が違いますから。やはり迷惑だったのかな、と……」
「……あ……」
 
 そんなに、顔に出ていたのだろうか。思わず、顔に手をやってしまう。
 しかし、それが先ほどの問いの答えのようで、若旦那は諦めたような表情になった。

「最初は戸惑ってるんだと、いきなりで悪かったかなぐらいにしか思わなかったんですけど。鈴花先生、どんどん笑顔がなくなりますしね」
「……」
「一緒になってくれるって聞いた時も、すごく嬉しかったんですけど。でも、気づいてました? あの時の顔、何だか辛そうだったんですよ?」
「……」

 鈴花は、ぎゅっと拳を握った。
 おろかな自分を罵りたい気分だった。
 気持ちを忘れようとして求婚を受け、その結果が、これだ。
 鈴花自身も気持ちが晴れず相手まで不快にした上、彼の気持ちまで踏みにじっていたのだ。
 情けなくて、涙が出そうだった。
 しかし、泣くわけにはいかない。本当に辛いのは、相手の方だ。
 彼は、鈴花の顔に笑顔がなくなったと言う。それを言うならば、彼の方だって同じだった。いつも、怪我をしながらも笑顔で来ていた人がこんな暗く沈んだ顔をしている。
 その全ての責任は自分にある。
 鈴花は、下唇をかみしめた。
 






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