「うわ、もうこんなに日が暮れてる……っ!」
山に近づき大きくなった太陽を見上げ、鈴花は屯所への道を急いだ。
折角の非番、金がないからといって、一日中屯所でごろごろしているのも気がひけ、とりあえず賑やかなところをうろうろしようと思ったのが運のつき。
小間物屋で綺麗な簪を眺めたり、紙問屋で照次に姫様に送る手紙はどれにしようかと迷ったり、贔屓の甘味どころのおかみさんが新しい団子の試食をさせてくれたりしていれば、時間などあっという間に過ぎてしまった。
甘味どころで世間話に花を咲かせすぎて、出てくればもう日はかなり傾いていた。
茜色に染まった空は、すぐに暗くなってしまうだろう。
うっかり遠出しすぎてしまったのに気付いた時には、もう遅かった。
このままでは、夕飯にありつけないかもしれない。
夕日が、川原を赤く染めていく。
鈴花は、思わず立ち止まってそれを見上げた。
山に近くなった太陽は、天高くあった時よりも大きくなって、まるで落ちてきそうな気すらしてくる。
小さな頃は、夕日が落ちてくるたびに、川が焼けてしまうのではないかと心配したものだ。
そんなことを思い出すと、自然と笑みが浮かんでくる。
「どうしたの、そんな楽しそうな顔して」
笑いを含んだ声が掛けられたのは、まさに満面の思い出し笑いを浮かべたときだった。
急いで振り返れば、茜色の空を背負った姿がある。
「近藤さん……見てたんですか?」
今、自分がどんな顔をしていたか。
それが想像出来る故に、鈴花は恥ずかしくてたまらなくなった。
きっと、かなりの間抜け面を晒していたはずだ。
「見てたよー。何か、すっごく楽しそうだったね。何かあった?」
「いえ、別に何もないですよ。ただちょっと夕日が綺麗だなーって」
「……ふぅん?」
まるきり信じていない態度で、近藤は鈴花のすぐ横に腰を下ろした。
見られたくないものを見られてしまった気まずさからか、鈴花はかつてない居心地の悪さを感じる。
どうやって、ここから逃げ出そうか。
そんな考えを巡らせた時。
「……おいしそうだよねぇ……」
横から、かなり間抜けな声が聞こえてきた。
慌てて、近藤の方を向くと、蕩けるような視線で空を見上げている。
おいしそう。確かにそう聞こえたのだが、一体何がおいしそうなのか。
視線の先を辿っても、その答えが見つけられず、鈴花は首を傾げた。
「ほら、雲がさぁ、とろーって溶けて、夕焼け色になっていくだろ?」
「……はぁ……」
気のない返事をしてみるが、夕焼け雲が何故おいしいに繋がるのかがよくわからない。
鈴花の戸惑いをよそに、近藤は益々相好を崩していった。
「それがさ、なんか焼きすぎた餅にみたらし団子の餡をかけたみたいになっててさ……おいしそうだよねぇ……」
「焼きすぎた……餅……に、みたらし団子……」
言葉を反芻して見上げるが、決しておいしそうには見えなかった。
焼きすぎてとろっとした餅。
夕焼け色のみたらし餡。
どれも、鈴花の日常では見かけないものばかり。
「……夕日も、見る人が見ればかわるもんですねぇ……」
思わず、関心したように呟いてしまった。
「桜庭くんは、何を思ってたの?」
「……内緒です」
近藤の夕日と変わらない発想を披露するのは、気が引けた。
誤魔化すように歩き出すと、近藤は不満そうな声を出しながらも、その後ろをついてきた。
「でも、良かったです。ここで近藤さんと会えて」
「ん?どうして?」
「このままじゃ夕飯に間に合いそうになかったんですよ。でも、局長と一緒なら食いっぱぐれることもないですよね」
安心したように言う鈴花の後ろで、何か情けない声が聞こえる。
「……ごめん、桜庭くん……俺、昨日から仕事をトシに押し付けて島原行ってたからさ、俺と一緒だと逆に夕飯にはありつけないかも……」
「……えぇぇぇぇぇええ!?」
夕日に染まった川原に、鈴花の絶叫が響き渡った。
団子を食べたとはいえ、それは試食程度。到底、お腹いっぱいとは言いがたい。
それなのに、夕飯なしとは。
鈴花は、瞬時に前を向きなおした。
溶けた餅にみたらし団子などという想像で、腹が膨れるわけがない。
尊敬する局長を置いたまま、鈴花は屯所への道を走り出した。
夕焼けがその背を脅かすが、負けてなどいられない。
日々の稽古で鍛えた足は、果たして夕飯に届くのだろうか。
それは、神のみぞ知る。
「桜庭くーん、俺と一緒に夕飯抜こうよ……」
近藤の声は、茜色の空に溶けて消えた。
昼へモドル
夜へススム